「すぐに恥ずかしくなってしまう」「恥ずかしくて怖い」「恥ずかしい思いはもうしたくない」「恥ずかしくてつらい」といったように恥ずかしさによって苦しみ、悩んでしまうことがあります。

恥ずかしい気持ちが強かったり、その感情が強ければ強いほど困ってしまうことが多いものです。

この記事では、「恥ずかしさ」について様々な視点から理解を促し、カウンセリングの有用性を説明していきます。

なぜ人は恥ずかしくなるのか?


「恥ずかしい(英語:shame)」とは、自分の至らなさや不甲斐なさを感じたり、人に知られたくないことや見られたくない気持ち、褒められて照れくさいときに感じる感情です。

恥ずかしい感情は、「羞恥心(しゅうちしん)」とも呼ばれます。

自分を覆い隠し(おおいかくし)たくなるような時に恥じらいや羞恥心は表に出ます。

失敗、失態、ミスなどの自分の至らなさを感じる出来事もあれば、大勢の前に立ったり、発表するといった場面で緊張とともに恥ずかしさがでることもあります。

恥ずかしい気持ちが強かったり、恥ずかしいことが多くあることで「恥ずかしがり屋」「シャイ」といった性格的な特徴を表す言葉が用いられたりします。

そのような場合、様々な場面で恥ずかしい感情によって苦しんだり、恐怖や怖がりに発展してしまうこともあります。

実際、恥ずかしい感情が強くなると恐怖の感情が出てくることが多くあり、「恥ずかしさ」と「恐怖」は連動することも少なくないものです。

ではそもそもなぜ人間には「恥ずかしさ(羞恥心)」があり、時に恐怖まで感じてしまうのでしょうか?

生物学的に考える「恥ずかしさ」

現時点では、動物や生物には恥ずかしさや羞恥心といった感情はあまり認められていないようですが、苦痛や恐怖、ストレスなど嫌悪感(けんおかん)は存在することが明らかになっています。

マウスの実験などでは、音と電気ショックを同時に与えると、音を聞いただけで苦痛と恐怖からすくみ反応や回避反応などを起こします。

そのため「恥ずかしさ」や「羞恥心」は人間が独自に獲得してきた感情と言えるかもしれません。

「本能」というよりは、「学習」されたものと言えますが、その学習がたくさんの世代に渡って行われたため、自己防衛本能とリンクしていることもあり、本能的に近い感情とも言えるかもしれません。

人間は太古の昔では、血縁関係のある群れからスタートし、他者との協力によって生存確率が高まることから、次第に社会やコミュニティーを形成していきました。

社会やコミュニティーが大きくなると統制が取りにくくなります。

そのため罰やルールを設けて縛りをつくることで社会やコミュニティーの維持を図りました。罰やルール、モラルが自分の生存にも重要な役割を果たすことにつながっていきます。

社会やコミュニティーにいる他人に嫌われたり、白い目で見られることは危険であるという認識になるということです。

その「社会やコミュニティーから除け者にされる=生存危機」というシステムの中で生きる生物になったということです。

もしこの世の中から誰もいなくなり、一人ぼっちになったら「恥ずかしい感情」はでるでしょうか?

恐らく出ないと思います。

人がいるから恥ずかしい気持ちや感情が出ます。

そこには、他人から嫌われる危険性ルールやモラルに反する危険性が内在しているということです。

それらは社会やコミュニティーから排除される可能性を高めてしまいます。(現代ではそのような過激なことは少なくなりました)

このような生物学的な観点から見ると、他人から嫌われることやそのように思われていることに恥ずかしさを感じ、その危険性が高ければ恐怖の感情まで出てくるのも理解できると思います。

生物的には群れから離れると生存の可能性は著しく低くなり、危険だと認識する自己防衛本能が働きます。

「恥ずかしさ」が脅威であることや「恐怖」とつながるのはこのような理由が人類の歴史にあるからです。

ルールやモラルに反することも恥ずかしいと思うからその規律を守ろうとするわけです。

人の目が気になるということは、生存維持には欠かせない能力であることもここからわかると思います。

このように恥ずかしさ(羞恥心)や人の目が気になるということは私たちが社会システムで生きていくには必要不可欠な能力でもありますが、過剰になると非常に辛い苦痛を伴い、本来の力が発揮できないばかりか失敗の確率を高めたり、逃避や回避の多い人生になりかねません。

恥ずかしさの悩み


「恥ずかしさ」についての悩みには、以下のようなものがあります。

・恥ずかしがり屋(シャイ)であることが恥ずかしい
・男性や女性に会うと恥ずかしくなる
・大勢の人前になると恥ずかしくなる
・発表することが非常に恥ずかしい
・声を大きく出すのが恥ずかしい
・本音が言えないのが恥ずかしい
・友達がいないのが恥ずかしい
・良い結果が得られないことが恥ずかしい
・失敗やミスが恥ずかしい
・笑われるのが恥ずかしい
・褒められるのが恥ずかしい
・収入や地位が低いことが恥ずかしい
・自分の体や容姿が恥ずかしい
・見られると恥ずかしい
・ひとりでいるのが恥ずかしい
・うまくしゃべれないのが恥ずかしい
・自分という存在が恥ずかしい
・歌ったり踊ることが恥ずかしい
・注目されるのが恥ずかしい
・おならが恥ずかしい
・漏らしたら恥ずかしい
・体臭や口臭が気になって恥ずかしい
・人目が気になって恥ずかしい
・赤面して恥ずかしい
・緊張するのが恥ずかしい
・すぐに泣いてしまうのが恥ずかしい
・おなかが鳴るのが恥ずかしい
・自分のファッションが恥ずかしい
・自分の家族が恥ずかしい
・のけものにされるのが恥ずかしい
・疎外感を感じると恥ずかしくなる
・会話には入れないと恥ずかしくなる
・勇気がない自分が恥ずかしい
・内向的な自分が恥ずかしい
・自分の性格が恥ずかしい
・今の自分が恥ずかしい

など日常にある、あらゆる出来事やシーンで「恥ずかしさ」を感じることがあります。

その恥ずかしさと恐怖が強くなると、

  • 人に会いたくない
  • 誰にも見られないところにいたい
  • あの場所に行きたくない
  • 辞めたい
  • 家にいたい

といった方向へ進んでしまうこともあります。

またそれらのストレスによって病気や精神的苦痛によって身動きがとれなくなることもあります。

恥ずかしさの悩みの多くに共通していることとして、

◎至らないダメな自分を見せたくない
◎至らないダメな自分だとバレたくない
◎至らないダメな自分のイメージをつけたくない
◎嫌われたくない
◎自分の価値を落としたくない
◎良い自分を見せたい
◎良い自分のイメージであってほしい
◎好かれたい

などがあります。

このこと自体は悪いことでもありませんが、そのような気持ちが強くなればなるほど「恥じらい」や「羞恥心」は強くなります。

逆に言えば、それらの気持ちが弱くなれば「恥じらい」や「羞恥心」は弱くなります。

恥ずかしさを強くする原因や要因


ルールやモラルを守らねばならない

ルールやモラルを守ることは人間が生きていく上で大切なことです。

しかしその守る気持ちが完璧主義的であったり、過剰になると少しの違反やミスで自分を罰する罪悪感や恥じらい、羞恥心に苛まれてしまいます。

現代では、法律やモラル、その場所それぞれに独自のルールなどがありますが、グレーゾーンもあります。

そのグレーゾーンの扱い方や許容範囲などによって、罪悪感や恥じらいの気持ちに影響を与えます。

自分のプライドと至らなさ

プライドが高い人ほど恥じらいを強く感じてしまうものです。

プライドが高いという言葉は抽象的だったりしますが、「自分はできる」などのように理想化した自分を受け入れて、至らないダメな自分を受け入れていない状態という状態だと仮定します。

至らないダメな自分は自分の中では否認している状態ですので、そのように状態を許すことができません。

そのため強い感情が出やすくなります。

失敗やミスを行うと許せない思いと感情が強く表に出て、恥ずかしい思いを感じてしまいます。

このような現象は、特別な人だけではなく多くの方がある程度持っているものです。

至らないダメな自分を受け入れられている人の方が少ないかもしれません。

自己評価の低さ

自己評価が低ければ「恥ずかしさ」や「羞恥心」は強くなり、ちょっとしたことでも感じてしまったりします。

自分の評価が低ければ、評価を落とす行為に危険性を感じるものです。

自己評価は適切な評価がわかりにくく、自分の主観や他人の意見に左右されやすいこともあり、非常に曖昧です。

経験による自己評価や家族内での評価が「自己評価」の土台になることが多いものです。

今までの人生でそのように評価されたり、自分で評価してきたには理由があります。

その理由を理解し、適切な評価に変わっていくことで「恥ずかしさ」がでにくくなったりします。

遺伝的影響

性格の遺伝は概ね50%ぐらいとされており、残りは生まれてからその後の後天的な環境によって影響されていると一般的に言われています。(30%~50%と考えられていることもあります)

「恥ずかしがり」の性格的特徴が遺伝によって特徴付けられていることもあるということです。

遺伝だから仕方ないと全てをあきらめる必要はなく、遺伝子のスイッチがONになったり、OFFになったりする働きがあることが分かっています。

大人になっている方はわかると思いますが、昔よく諦めていた苦手なことが今ではできるようになっているものはないでしょうか?

そういったスイッチによるものや環境によって成長・学習・馴化(慣れ)によって私たちは「落ち込みやすさ」を少なくすることができます。

ただ遺伝についてはまだわからないことも多く、どこまで乗り越えることができて、どこまでが限界なのかははっきりわかっていません。

経験的影響

経験が増えると、慣れる(馴化)ことが増え、次から容易に行うことができる学習のシステムを私たちは持ち合わせています。

自転車や車の運転がわかりやすいですが、最初はいろいろなところを考えながら行わないとうまく動かなかったりしますが、慣れてくると意識せずに運転できるようになります。

ですので恥ずかしいことに慣れる(馴化)ことによって恥ずかしさが軽減と改善が促されます。(少し意識的な技術が必要です)

このような学習のシステムは、私たちがあまり覚えたくないものにも適応されてしまうこともあります。

神経系には可塑性(かそせい)という機能があります。

「よく使用する神経は強化され、使わない神経は弱化する」

「よく使うものが使いやすくなり、あまり使わないものは使いにくくなる」

といった特性があります。

これは良いことも学習しますが、悪いと思うことも同様に学習されてしまいます。

恥ずかしい思いを繰り返してしまい、強烈な恥ずかしさと劣等感を感じる学習を進めてしまうこともあります。

トラウマのようになり、恐怖や不安にかられ、いろいろなことが億劫になり、身動きがとれなくなることもあります。

しかし「恥ずかしくない経験」や「恥ずかしさを感じにくい経験」を繰り返していると「恥ずかしさ」を感じにくくなったりするということも期待できます。(この点は直接お聞きください)

また経験には気づきがうまれます。

気づきによって自己成長が生まれ、「恥ずかしさ」が軽減、改善していくこともできます。

経験や経験値はどのように捉え、どのように解釈するかで良いものにも悪いものにも変化します。

認知的影響

認知とは、物事を知覚した上で判断したり、解釈したりして認識することを指します。

物事をそのまま認識することもあれば、自分の価値観や捉え方などを通して解釈が行われて認識することもあります。

ストレスに対する捉え方や受け止め方である「認知的評価」は経験や脆弱性、レジリエンスにもコーピングにも大きな影響を与えます。

※脆弱性(ぜいじゃくせい)とはもろさや弱さ、レジリエンスとは、ストレスなどへの抵抗性・耐久性・回復性、コーピングはストレスなどの対処する能力を意味しています。

例えば「自分の方向を見て笑っている人がいる」という状況があったとしましょう。

「自分は価値が低く、人に嘲笑われる」と認知している場合、自分に対して軽蔑して笑っていると捉えてしまいます。

その場合、恥ずかしくなったり、怒りの感情や落ち込みにつながります。

そのような認知がない場合、「何かいいことあったのかな?」「自分の後ろの人に笑っているのかな?」といった捉え方が強くなります。

このように当人がどのような認識、考え、解釈、信念をもっているかによって起きている事実の捉え方が変化し、ストレスは大きくも小さくもなりえます。

ですので認知的評価に偏りがあるとストレス反応も偏りの影響を受けるということです。

ストレスを大きくしてしまう認知の偏りには代表的な10パターンがあります。

・全か無かの思考(All-or-nothing)
・過度の一般化(Overgeneralization)
・すべき思考(should statements)
・マイナス化思考(Disqualifying the positive)
・選択的抽象化(selective abstraction)
・心の読み過ぎ(Mind reading)と先読みの誤り(Fortune-telling)
・感情の理由づけ(Emotional reasoning)
・拡大解釈(magnification)と過小解釈(minimization)
・レッテル貼り(labeling)
・個人化(personalization)

また中核信念(コアビリーフ)が認知の偏りや認知的評価に大きな影響を与えることが多くあります。

中核信念(コアビリーフ)とは、①自分自身について、②他者について、③自分をとりまく世界に持っている信念の中でも最も重要な核(コア)になっている信念のことをいいます。

物事に対して何故そう思うのか?という疑問を自己に投げかけた時にその考えや解釈の大元になっている信念ということです。

「人に笑われて落ち込んだ」という例で説明すると、

なぜ落ち込んだ?⇨「自分がなにかオカシイからだ」⇨なぜ?⇨「昔からそうだから」⇨なぜ昔から笑われる?⇨「周囲がいつもそうだったから」⇨なぜそんなに笑われると自分に思っていたと思う?⇨「自分はダメな人間だから」「人はいつも馬鹿にするから」「人生はわたしにあまりに不条理だから」

というように「自分はダメな人間」という自分自身に対する中核信念や「人はいつも馬鹿にする」という他者に対する中核信念、「人生はわたしにあまりに不条理だ」という取り巻く世界に対する中核信念をみつけることができます。

これらの中核信念自体は悪いものでないこともありますが、その中核信念に否定的情動が強かったり、許せない憎しみなどの感情も強く同期している場合、当人にとってその現象はただの出来事では済まされない心的な苦しみになります。

そういった中核信念に対して、心理的アプローチを行うことで情動の軽減や消失が起こり、最適な中核信念に回帰できるようになります

恥ずかしさを強めてしまう解釈や信念を見つけることがまずは大切になります。

恥ずかしい気持ちが強い(恥ずかしがり屋)とカウンセリング


「恥ずかしさ」への理解がなされるように生物学的な視点から説明していきました。

「恥ずかしさ」が全くなくなることは非常に危険な側面を持ち合わせます。しかし過剰になると恥ずかしさと恐怖で苦しんでしまいます。

ある程度の恥ずかしさがあって普通という認識でカウンセリングはスタートしていきます。

恥ずかしい性格的特徴をお持ちの相談者さん(以下クライエント)がどのような恥ずかしさを持ち、どのように対処や認知をし、どのような経過をたどるかを改めて明らかにすることが大切です。

全貌を把握しているようで言葉に出して把握する経験はあまりないことも多く、話していくことで気づきが生まれたり、理解が深まったりします。

恥ずかしさは心理的な苦しみを蓄積させているケースが多く、自己批判や自責を多く内在していることがあります。

そのような場合、その「心的苦しさ」が癒えていくようにカウンセリングを行っていきます。

なぜこんなに苦しいのか?なぜこんなに恥ずかしいのか?といった所在が明らかになっていくと気持ちが軽くなったり、気分も楽になっていきます。

そして何にアプローチするべきか?何にアプローチをしない方が良いかがわかってくると、その気持ちはより改善していきます。

恥ずかしさは体が緊張したり、赤面したり、冷や汗、胃腸症状などを伴ってしまうことがあります。

そういった身体的な学習に対してリラックスなどのからだを緩める学習をとり入れていくことも大切であったりします。

自己評価が低ければ、本来あるべき評価へ向かうように丁寧に見ていく必要があります。

そのなかでトラウマのような強烈な体験をしていることもあり、少しずつ向き合っていきます。

少しずつ安全にみていくといろいろな抑圧された気持ちや受け入れ難かった事実が明らかになっていきます。

ひとつずつ絡んだ糸を解きほぐしていくように一歩ずつ進んでいきます。

そういった中で、「あの出来事があってここまで成長できた!」という感覚をつかむことができたなら大きな自信と成長に恵まれます。

人間誰もが脆弱性(もろさ)を持っています。

脆弱性の意味や成り立ちを理解していくことで「そういうことだったんだ」という安堵や安心感も生まれやすくなります。

厳しい局面もあります。

自分が受け入れたくなかったことや受け入れたくない自分に直面していくことは苦痛を伴います。

しかしその苦痛を乗り越え、受け入れが進んでくると、自分が思っていたような世界と異なり、成長を感じられるようになります。

ようするに「弱さを認める強さ」を獲得できたということです。

またこの頃には自分を客観的・俯瞰的にみることもできるようになってくるため「メタ認知能力」も備わっていきます。(※メタ認知とは、客観的に自分や物事を認知・判断できる能力)」

自分の過剰なプライドが不必要になり、至らない自分やダメな自分の受け入れが進んでくると不思議と「恥ずかしさ」が以前よりも気にならなくなってきます。

しかし「ある程度の恥ずかしさ」はあるもので、そのあたりは人によって異なります。

その変化した「恥ずかしさ」をいかに扱うか?以下に対処するか?そのままでいいのか?というテーマでカウンセリングが進んだりします。

人の責任として考えることができず、自分の責任にしすぎているような傾向が強い場合、それらが変化することによって「恥ずかしさ」も影響を受けます。

また「脆弱性」「レジリエンス」「コーピング」「認知的評価」などを高めるセッションを組み入れることで自分のこころの土台に安定感と強度が増していきます。

このように文字で書くと簡単なように思わせてしまいますが、地道に行いながら地道に成長するといった流れをベースとしています。

恥ずかしさは馴化(慣れる)ことによって再学習が行われ、「危険性の解除⇒恥ずかしさの感情が減る」といった流れで改善することができます。

そのように馴化するためには、土台をしっかり築き、行動を起こしやすくし、意志もしっかりさせておかなくてはなりません。

そのような地道な努力によってさまざまな心的成長が得られ、カウンセリング終了後の人生においてその能力が発揮されていきます。

自分への自信や自己肯定感、自己効力感なども高まりやすくなります。

恥ずかしがり屋さんが弱くなってくると内向的だった性格が自信を取り戻し、外向的傾向が強くなることもあります。

それくらい「恥ずかしさ」は私たちが向き合う必要のある重要なものだと言えます。

「あの時、向き合ってよかったな」と思える機会をたくさん作れるように丁寧にカウンセリングを行っております。

お読みいただきありがとうございます。


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記事監修
公認心理師 白石

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