「人の目が気になる」「人の目が気になってつらい」「気になって不安がでる」「人の目が怖い」「気になってしまって緊張する」など人の目が気になってさまざまな悩みに発展してしまうことがあります。
「人の目が気になる」ことを多角的な視点から理解されるように考察し、カウンセリングの有用性についても説明していきます。
もくじ
人の目が気になる
人の目が気になってしまうことは誰でも経験するような事です。
人の目が気になったり、顔色を伺ったり、「自分のことをどう思っているんだろう」と気になったりすることがあります。
思春期などは「恥じらい」の感覚が敏感になるため特に人の目が気になりやすい時期です。
人の目が気になる度合いが非常に強かったり、慢性的であれば、疲れて疲弊してしまいます。
またそのことに意識が集中してしまうため、本来のパフォーマンスを出せなかったり、緊張からミスや失敗が起きやすくなることもあります。
人の目を気にしないように頑張っても、気にしないようにできないことも少なくありません。
人の目を気にする強さが強ければ強いほど、コントロールすることが難しくなる傾向があります。
頻繁に人の目を気にしている状況では、「どう思われているんだろう」「嫌われていないか」といった不安や恐怖といった感情も伴い、こころが疲れてしまいます。
以前はそこまで気にしていなかったけど、「ある出来事を境に」という場合や徐々に気になるようになったというような場合もあります。
「昔から家族の中でずーっと顔色を気にして生きてきた」という長い心労があるケースもあります。
人の目が気になって起きる悩み
人の目が気になることで以下のような様々な問題が起きてしまうことがあります。
・緊張する
・不安や予期不安にさいなまれる
・恐怖で困ってしまう
・ビクビクしてしまう
・気になって会話についていけない
・気になって上手く話せない
・震えやすくみがでる
・お腹の調子が悪くなる
・肩や首が凝ってしまう
・八方美人になりすぎてしまう
・自分らしくできない
・明るくなれない、暗くなってしまう
・無理してとりつくってしまう
・疲れる
・眠れなくなる
・悩む時間が増えてしまう
・やるべきことに手がつかない
・集中できない
・気にする自分を責めてしまう
・自責と自己批判
・自信喪失
・行きたくない(会いたくない)と思ってしまう
・仕事や学校などを休んだり、やめてしまう
これらの二次的な問題によって、自分の状態が悪くなり、余計にパフォーマンスが落ちたり、自信を失い、余計に人の目が気になってしまう「負の悪循環」が起きてしまうことがあります。
人の目を気にするレベルは人によって異なり、
- まれに気にする
- 一時的に気にするだけの
- ある場所に気にしてしまう
- ある人と会うと気にしてしまう
- その場にいなくても不安や恐怖が出る
- 不安や恐怖に囚われて苦しい毎日になっている
- 体に症状が出るほど苦しい
- 対人恐怖になっている
- 家から出れなくなる
- もう無理だと自殺したくなる
などさまざまな強さや持続性(慢性度合い)があります。
不安や恐怖が強ければ強いほど、持続性が長ければ長いほどこころとからだの負荷は強く長くなってしまいます。
このように人の目を気にして様々な心的苦痛を伴ってしまいますが、なぜ人間は人の目をこれほど気にしてしまうのでしょうか?
なぜ人間は人の目を気にするのか?
わたしたちは個人として存在していても個人一人でのみで生活はできません。絶えず誰か他者との関係で存在しています。ですので個人といっても社会的個人といったほうが意味が近いかもしれません。
動物も群れをつくりますが、人間は群れ(コミュニティーや家族)や高度な社会を形成しています。
人間は太古の家族的・親族的な集団よりもより多くの人間が集まり群れを作ることで役割が分担でき、協力することで一人ではできないことができるようになりました。
そして現在まで生き残ることができています。
群れることから社会を形成して生き残りに成功してきた人間にとって、群れや集団は今の私たちが思っている以上に大切でした。
集団から外されるということは、獣に襲われたり、食料の確保が非常に難しくなったり、命の危険と直結する問題になりかねません。
「村から排除」「処刑」「切腹」など、今では考えられないような残酷さもありました。
ですので群れ(コミュニティー)に所属している他者から嫌われることは生命の維持や種の保存の観点から非常に危険なことであり、「恐怖」の対象として認識している可能性があります。
自分自身の気持ちでそうなっている可能性もありますが、からだに備わっている自己防衛本能が稼働してしまっていることも要因として挙げられるかもしれません。
実際のところ、学校や職場、主婦や趣味のコミュニティー、友人関係など嫌われても他にもコミュニティーはたくさんあり、心的苦痛はあるものの命の危険とまではいかないことが多いかもしれません。
しかし命の危険と感じるかのような危機感と恐怖が襲って来るのは、自己防衛本能が太古の昔から地道に判断してきた危険ラインを人類の進化のスピードに合わせてすぐさま変更することが容易ではないからかもしれません。
ようするに身体が太古の昔と同じような反応を今でも出している可能性があるかもしれないということです。
人に嫌われたくない、人に好かれたいという基本的な欲求はこのような背景から強くなっている可能性があります。
このように集団や社会で生きる私たちにとって「人の目を気にする」という行為は、ただの行為ではなく、獲得してきた能力であると言えます。
人の目が気になりやすくなる原因や要因
我々が獲得してきた能力でもある「人の目を気にする力」ですが、その気にする度合いが強過ぎたり、慢性的になると心理的負担は計り知れず、非常に苦しくなってしまいます。
ここでは人の目が気になりやすくなる原因や要因について考察していきます。
嫌われたくない
人の目を気にしてしまう相談で、原因を見ていく中で最も多く出てくると言っても過言ではないのがこの「嫌われたくない」という思いです。
嫌われると孤立したり、仲間はずれにされたり、いじめや悪口などが起きる可能性も高まります。
そのため嫌われたくないことから「人の目を気にする」ことが過敏になっていきます。
トラウマや過去の嫌われた体験がある場合、強い恐怖や不安を伴います。
触れられたくないコンプレックス
人に触れられたくない身体的・心理的なコンプレックスがある場合も「人の目が気になる」ことが増えます。
「いじられたくない」「バカにされたくない」という思いが強くなり、人の会話が気になって「自分のことを話しているのかも」と推測してしまうこともあります。
弱さを見せたくない
コンプレックスもそうですが、自分の弱さを見せたくないと思う気持ちが強ければ強いほど人の目を気にしてしまいます。
特に失敗やミスをすることが苦手になりやすく、時に恐怖や不安を伴います。
嫌な経験やトラウマ
過去に嫌われた経験やトラウマなどを引きずっている場合も人の目を気にしてしまいます。
「また嫌われるんじゃないか」という危惧や「嫌われているはず」という推測がでやすくなります。
このような危惧や推測は自己防衛本能であり、専門的には「防衛機制(ぼうえいきせい)」といいます。
気にしやすさと過敏性
性格は人それぞれであり、「気にしやすさ」が弱い方もいれば強い方もいます。
それは個性でもあり、特性でもありますが、気にしやすさがより人の目を気にすることを強くしてしまうことがあります。
人の気持ちはなかなか直接聞くことは少なく、推測の余地があるため「こう思っているんじゃないか?」「実は。。。」と考え込み、過敏さも強くなってしまうこともあります。
恥ずかしがり(シャイ)
恥ずかしい気持ちが強い性格的特徴がある場合、気にする過敏性は強くなってしまいます。
そのため恥ずかしいと思うことが人より多く、気になることが広範に広がってしまいます。
怖がり
怖がりの特性が強い場合も実際よりも大きく恐怖を感じるため人の目を気にする強さが比例して強くなってしまいます。
好かれたい思いが強い
好かれたい思いが強い場合、嫌われたくない思いも同じだけ強くなり、人の目が気になってしまいます。
好かれたいという思いはとても良いことですが、その思いがかえって自分を苦しめることになってしまうこともあります。
遺伝的影響
性格の遺伝は概ね50%ぐらいとされており、残りは生まれてからその後の後天的な環境によって影響されていると一般的に言われています。(30%~50%と考えられていることもあります)
「人の目を気にする」の性格的特徴が遺伝によって特徴付けられていることもあるということです。
遺伝だから仕方ないと全てをあきらめる必要はなく、遺伝子のスイッチがONになったり、OFFになったりする働きがあることが分かっています。
大人になっている方はわかると思いますが、昔よく諦めていた苦手なことが今ではできるようになっているものはないでしょうか?
そういったスイッチによるものや環境によって成長・学習・馴化(慣れ)によって私たちは「嫌われる怖さ」や「人の目を気にすること」を少なくすることができます。
ただ遺伝についてはまだわからないことも多く、どこまで乗り越えることができて、どこまでが限界なのかははっきりわかっていません。
気にすることができるということはその分だけ「配慮」ができるので、仕事によっては素晴らしい才能へと開花していくこともできます。
心の向かう方向性
何か嫌な不快な出来事が人間関係で起きた時に
・相手に直接言う
・喧嘩になってもいいから伝える
・味方をつけて本人に伝える
・誰かに聞いてもらう
・家族などに相談する
・なかったことにする
・自分の中で処理する
・相手に言えなくて悩んでしまう
・自分が悪いんだと捉えてしまう
といったように心が向かう方向性が人によって異なります。
相手に言うということは「嫌われる」覚悟が多少なりに必要です。そんな覚悟がいらない場合もありますが、相手を注意するということは本来誰でも持っている権利です。
しかしそれができない、する勇気がない、伝えるのが不安や恐怖である場合、誰かに相談するか、自分の中で処理することしかできません。
相手に本心を言えなかったり、注意できなかったり、自分のせいにしてしまうと自己批判から自分の自信を失ってしまったり、「人の目を気にする」ことを強めてしまいます。
相手の気持ちを聞けない
相手の気持ちを知りたい時に直接聞いて知ることが大切です。
しかしそのように聞けないケースもあり、また聞く勇気がないこともあります。
そのような場合、その対象者の目が気になってしまいます。
怒られるのが怖い
怒られるのが怖い場合も人の目が気になります。
特に怒りやすい人、怒ると怖い人と一緒の空間にいる場合、その恐怖ときにする度合いは強くなります。
ビクビクと怖気付いてしまうほど怖くなってしまいますので、本来の力が出せず、結果怒られてしまい、恐怖を強めてしまうこともあります。
馴染めない
集団になかなか馴染めず、合わせようと頑張っているときにも人の目を気にしやすくなります。
集団に溶け込みたいのに溶け込めない場合、人の顔色を伺ったりすることに気を取られ、なかなか話題についていけない、自分らしさを出せないということが起きます。
そういったことが増えてくるとなかなか馴染めず嫌な思いをすることもあります。
人の目が気になることに対するカウンセリング
ご相談される方(以下クライエント)がどのような「人の目を気にする」悩みや問題があり、どのような背景があるか、誰かに相談できているか、どのように対処しているかなどの全貌を明らかにしていくことが大切です。
その上で何が原因や要因になっているかを見ていきます。
上記に挙げた
・嫌われる怖さや不安
・触れられたくないコンプレックス
・弱さを見せたくない
・過去の嫌われた経験やトラウマ
・気にしやすさと過敏性
・恥ずかしがり(シャイ)
・怖がり
・好かれたい思いが強い
・遺伝的影響
・心の向かう方向性
・相手の気持ちを聞けない
・怒られるのが怖い
・馴染めない
などの要因が複雑に絡み合っていることが多くあります。
クライエントがどのような問題を抱えているかによって適切にカウンセリングテーマを絞っていきます。
一見問題のように見えても才能であったり、捉え方や解釈の問題ということもあります。
性格のように見えても馴化(慣れ)や気づき、経験によって変化してくるものもあるのでご本人次第ではありますが、そういった性格的特徴も変容することもあります。
過去の嫌われた経験やトラウマがある場合、丁寧に「傷ついた心」に向き合っていきます。
そのような場合、その「心的苦痛」「傷つき」が癒えていくように慎重にカウンセリングを行っていきます。
人の目をこんなに気にする自分に「なさけなさ」を感じ、自己批判や自責をしている場合もあり、そのような場合も理由を見ていきます。
その理由を見ていくと「だからか~人の目をそんなに気にしていたんだ」という理由に行き着くものです。
理由を見ていくとそこにはクライエントが大切にしてきた信念や守ってきた大切な思いがあり、感動的な情動が出てくることもあります。
そしてカウンセリングは進んでいきます。
カウンセリングでは自分の思っている本音を声に出していくことが大切です。特に誰にも言えないようなことならなおさら重要になります。
自分の心の世界だけでさまよっている時には出ない「こころの動き」が出せるように思います。
話すということは基本的な欲求でありながら、好きなように話せるという機会は一般的には少なく、通常は制約があります。
そのような制約の少ない、秘匿性の高い守られた場所で話していく様はなかなか経験できるものではありません。
自分の中で処理しにくい問題でもそのような場で、共感的・受容的な態度に見守られながら話していくことで気づきが生まれたり、言葉に出して初めて外に出すような経験を通してすっきりしたり、気持ちが楽になっていったりします。
なぜこんなに苦しく怖いのか?なぜこんなに人の目が気になるのか?といった原因や要因が次々に明らかになっていくと気持ちが軽くなったり、気分も楽になっていきます。
そして何にアプローチするべきか?何にアプローチをしない方が良いかがわかってくると、その気持ちはより改善していきます。
人の目が気になることは、「気になる⇨本来の力が出せない⇨傷つく⇨より気になる」といった負のスパイラルに巻き込んでしまうことがあります。
その負のスパイラルがなぜ起きているのか?どこから手をつければいいのかもカウンセリングが進んでくるとわかるようになります。
「人の目が気になる」意味や成り立ちを理解していくことで「そういうことだったんだ」という安堵や安心感も生まれやすくなります。
カウンセリングの中では「受け入れ」が重要になってくることが多くあります。
自分が受け入れたくなかったことや受け入れたくない自分に直面していくことは苦痛を伴います。
しかしその苦痛を乗り越え、受け入れが進んでくると、自分が思っていたような世界と異なり、成長を実感できるようになります。
ようするに「弱さを認める強さ」を獲得できたということです。
その状態では自分らしさが少しずつ出せるようになったり、人の目を気にするレベルが変化したり、日常生活に少しずつ変化が起こります。
またこの頃には自分を客観的・俯瞰的にみることもできるようになってくるため「メタ認知能力」も備わっていきます。(※メタ認知とは、客観的に自分や物事を認知・判断できる能力)」
自分の過剰なプライドが不必要になり、至らない自分やダメな自分の受け入れが進んでくると不思議と「嫌われる怖さ」や「人の目が気になる自分」が以前よりも軽くなってきます。
また「脆弱性」「レジリエンス」「コーピング」「認知的評価」などを高めるセッションを組み入れることで自分のこころの土台に安定感と強度が増していきます。
このように文字で書くと簡単なように思わせてしまいますが、地道に行いながら地道に成長するといった流れをベースとしています。
嫌われる怖さや人の目を気にすることは馴化(慣れる)ことによって再学習が行われ、「危険性の解除⇒恐怖の感情が減る」といった流れで改善することができます。
そのように馴化するためには、土台をしっかり築き、行動を起こしやすくし、意志もしっかりさせておかなくてはなりません。
特定の人物に怖さを感じる場合、それはなぜなのか?が明確に分かっていくことで変化が生まれます。
その人物を怖がる理由が自分の成長につながっていくこともあります。
そのような地道な努力によってさまざまな心的成長が得られ、現実の世界においてその能力が発揮されていきます。
人の目が気にならなくなってくると自分への自信や自己肯定感、自己効力感なども回復し、外向的傾向も高まっていきます。
「向き合ってよかったな」と思える状態になり、希望や目標なども見え始め、気分も明るくなっていきます。
この頃には、問題や悩みが「人に配慮できる才能」であることにも気づけるようになります。
あとは実生活で活かしていくことで育んでいけます。
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記事監修
公認心理師 白石
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