カウンセリングや心理療法を受けようと思われている方、受けておられる方、心理学に興味がある方に向けて「認知の偏り(認知の歪み)」について説明していきます。
もくじ
認知の偏り(認知の歪み)とは?
以前は「認知の歪み」と訳されいましたが、「歪み」という表現よりも「偏り(かたより)」といった表現が適切だという考えもあるため両方記載しました。(以下「認知の偏り」と表記します)
認知の偏り(英語:Cognitive distortion)とは、精神科医アーロン・ベック(Aaron Temkin Beck)が基礎を築き、デビッド・バーンズ(David D. Burns)がその研究を引き継ぎ発表された「偏りや誇張、非合理的な認知パターン」のこと指します。
彼らが開発した認知行動療法(CBT)の技法の中で中核を成すような概念です。
私たちは出来事や物事に遭遇した際に無意識的にでてくるのが「自動思考」と呼ばれるものです。
その自動思考が生まれるには、捉え方や解釈などの認知が大きく影響をしています。
例えば、「こちらを向いて笑っている人がいる」という出来事に遭遇した場合、あなたはどのような思いがでてくるでしょうか?
「何かいいことがあったのかな?」と思う人もいれば、「何か自分がおかしなことをしてしまったかな。。。」と思う人もいれば、「何調子に乗ってんだよ」と思う人もいれば、何も自動思考が生まれない人もいます。
このような認知が様々有る中で、偏りや誇張、非合理的な認知パターンが私たちに偏った自動思考を生み、偏った言動を起こさせる原因になっているということです。
それでは実際に「偏った認知パターン」をみていきたいと思います。
認知の偏り10パターン
認知行動療法などで用いられる「認知の偏り」の代表的な10パターンを紹介します。
これら10パターンの認知の偏りや歪みがあるからダメだとか悪いと判断せずに見ていくことが大切です。
なぜならそのような認知パターンが生まれるのも理由があるからです。
そこにはその方だけの人生の大切なドラマがあります。
全か無かの思考(All-or-nothing)
0か100か?白か黒か?というような極端な判断軸(二極思考)で考えてしまい、グレーがない認知パターンです。
人間関係では、この人は「合う」「合わない」、「良い人」「悪い人」といった極論で判断を行ってしまいます。
行っている行為に関しても「完璧」か「完全な失敗」という判断になります。
いつも(always)、すべて(every)、絶対(never)などといった言葉が出るときにこの認知パターンの偏りがあります。
この白黒思考(全か無かの思考)が強く、分裂(スプリッティング)がある場合、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害なども考えられます。
過度の一般化(Overgeneralization)
過度の一般化(Overgeneralization)とは、一部の要素をすべてのことのように当てはめて捉えてしまう認知パターンです。
経験や根拠が不十分なまま早まった一般化を行ってしまいます。
たった一回失敗しただけで自分はダメな人間だと思ってしまったり、一度嫌な行為をおこなった人物に対して「悪人」だと思ってしまいます。
すべき思考(should statements)
すべき思考(should statements)とは、「~すべき」「~しなければならない」といった基準で物事を考え「そうでなければならい」と思ってしまう認知パターンを指します。
絶対的な正解として認知しているため、過度なプレッシャーや焦りが生まれやすく、そのようにできなかったときに自責や他責の念が強くなります。
成功しなければならない、人に好かれなければいけない、絶対にミスをしてはいけないなどである。
マイナス化思考(Disqualifying the positive)
マイナス化思考(Disqualifying the positive)とは、ネガティブや否定的な側面ばかり目がいき、それが全てであるように思い込んでしまう認知パターンです。
うまくいっても「まぐれ」だと思い、うまくいかなかったら「やっぱりそうだ」と思ってしまいます。
良いことは目に入りにくくなるため、ネガティブな考えばかりが増えていきます。
また特徴的なのが、何でもないことや良い出来事を悪い出来事にすり替えてしまいます。
Disqualifying the positiveは直訳すると「ポジティブの失格」です。
選択的抽象化(selective abstraction)
選択的抽象化(selective abstraction)とは、全体的に見ることができず、悪い部分のほうへ目が行ってしまい、良い部分が除外されてしまい結果、現実を悪く見てしまう認知パターンをさします。
抽象化とは、複数の具体例から共通点を抜き出すことですので、自分はこんな悪いところもあんな悪いところもあるダメな人間だ、といった認知が生まれ易くなります。
結論の飛躍(Leap conclusion)
結論の飛躍(Leap conclusion)には、当人に確認することなくネガティブや否定的に推測してしまう「心の読み過ぎ(Mind reading)」と物事が悪い方向になると先読みしてしまう「先読みの誤り(Fortune-telling)」の二種類の認知パターンがあります。
あの人は絶対またこうしてくる、また絶対失敗するといったように、十分な根拠がないままに悲観的な結論付けをしてしまいます。
感情の理由づけ(Emotional reasoning)
感情の理由づけ(Emotional reasoning)とは、事実や根拠よりも感情を根拠として、自分の考えが正しいと結論を下す認知パターンをさします。
やる気が出ないから今はやめておこう、失敗するかもしれないと思うから挑戦はやめておこうなど「先延ばし」の理由付けによく起きるものです。
加害者にはそんなつもりがないにも関わらず自分が傷ついた場合「あいつは自分を傷つけようとした」などと事実が感情によって歪んでしまって見えることもあります。
拡大解釈(magnification)と過小解釈(minimization)
失敗や悪いことが実際より大きくみえる「拡大解釈(magnification)」と成功や良いことが小さく見える「過小解釈(minimization)」してしまう認知パターンです。
自分の強みは小さく見え、弱みは大きく感じるといった傾向があります。
レッテル貼り(labeling)
レッテル貼り(labeling)とは、「私は~な人間だ」「あの人は~な人間だ」というようにレッテルを貼り、誤った人物像を創作してしまう認知パターンのことを指します。
「私は不必要な人間だ」「あいつは悪魔だ」などの過度の一般化のより深刻なケースとされています。
個人化(personalization)
個人化(personalization)とは、自分とは関係ないものでも自分のせいだと自責の念や罪悪感を感じたり、自分を称賛してしまう認知パターンのことを指します。
あの人が亡くなったのは自分のせいだ、あの人の成功は私のおかげ、といったように非難的な個人化と称賛的な個人化がある。
関係性がしっかりあるものはこの認知パターンではありません。まったく自分が関係していないのにそう思ってしまう認知のケースが該当します。
なぜ認知が偏るのか?
そもそも論ではありますが、認知に「歪み」や「偏り」が全くないという人はいるのでしょうか?
人間はそのときどきに都合よく解釈してしまったり、自分を守るような捉え方をするものです。
ですのでそういった人間性の表れでもあるという側面を前提としながら認知の偏りの原因について説明していきたいと思います。
まず第一に「遺伝的要素」や「性格」といった気質によるものの影響があると考えられます。
その上で主たる保護者である親から言われた、教わった、厳しくしつけられた「認知パターン」が刷り込まれたり、学習します。
例えば、親が子供に対して良い子・悪い子と極端に判断することにより、そういうもんなのだと子供は認識してしまいます。いつの間にかその子供もなにかの判断にそのような「白か黒か?」といった基準で見てしまい、全人的な見方ができなくなってしまいます。
こういったところが認知の土台となるところです。
その後の人生に大きな影響を与えますが、自分次第で変容が可能なところでもあります。
親だけではなく友人、学校の先生、その後に出会う周囲の人間から「そういうものなんだ」と認知方法を学習します。
その後の人生において様々な経験を通して
- 認知がより歪んだり
- 歪みが減ったり
- より偏ったり
- 偏りが減ったり
するものです。
固定的な認知もあれば、遊動的に動く認知もあると思います。
ではなぜ認知が偏るのか?についてですが、そのような「学習」や「自分を防衛する」という特徴があるように思います。
人生において「傷ついた経験」が関係しているということです。
傷ついた経験から「もう二度と傷つきたくない」と考えて「期待をすることをやめる」といった傷つきの回避からこのような認知の偏りが生じてしまいます。
あえて悪く捉えておくことで期待が少ない分、そのときに受ける「傷つきによる衝撃」は少なくなります。
しかし偏った認知により悲観的な認知が多くなり、本人はいつの間にか苦しむ結果となってしまいます。
このような偏った認知パターンや思い込みは、正しい認識だと判断できなければ自己防衛の意味をなしません。
そういった特性から「偏った認知」でも偏ってないように感じてしまうことが起きます。
また無意識的にその証拠を裏付けるような情報ばかりに目がいってしまうことによりその「偏った認知」を強化してしまいます。
人は誰でも「自分の意見や主張が正しい」と信じたいものです。
自分が正しければ防衛が成功します。
そういったところからいつの間にか自分に都合の良い情報ばかり得てしまい、反対の意見や視点などの「反証」を無視してしまいます。
重要なのは、人間にはこのような自己防衛の働きが誰でもあるということです。
偏った認知を持っている人が特殊なのではありません。
どんな人でも誰かから学んだ「偏った認知」と「偏っていない認知」を持っており、傷つきによって「偏った認知」と「そうでない認知」を持ち合わせているものです。
「あ~そういうことだったんだな」という具合に捉えれるようになることが大切になります。
しかし自分が正しいと信じてきた認知が歪んでるなんて受け入れられない場合もあります。
やめたくない場合もあるかもしれません。
自分が変わることに抵抗を覚えることもあるかもしれません。
そういった時は、そのように思っていいものかもしれません。
そういった具合に肯定していきながら自分に大切なものが見えた時に動けばいいのです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
認知の偏りや歪みを知ることによって「傷ついてきた自分」を知ることがあります。
「だからそんな風に自分を守っていたんだ」と理解がすすんだりします。
そこには人それぞれのドラマティックな情動があります。
「認知の偏り」を知ることによって、ご覧頂いた皆様に少しでもお役に立ちましたら幸いです。
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記事監修
公認心理師 白石
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