心理学には様々な理論がありますが、個人的に非常に有用でかつ理解するまでが難しいと感じるのがこの「関係フレーム理論(関係フレームづけ)」です。

犬に餌を与える前に「ごはん」と言うことを繰り返すと、「ごはん」という言葉に反応し、本物の餌がでてくるかのような振る舞いをします。

これは「ごはん」という言葉と餌が条件付けられて学習されていることを表します。

逆に餌を与えた後に「ごはん」と言うことを繰り返しても条件づけが行われず、犬は学習ができないようです。

しかし人間は子供でもご飯を食べた後に「ごはん」と言うことを繰り返すと、これが「ごはん」なんだと認識し、「ごはん」という言葉と本物のごはんという条件づけ学習が行われます。

このように当たり前のことなのですが、人間しか持っていない目に見えない学習と条件づけの核心に迫っていく理論がこの関係フレーム理論と言えます。

この記事では、「関係フレーム理論」と「関係フレームづけ」について一般の方にもわかりやすく解説できるように書いていきたいと思います。

関係フレーム理論(RFT)とは何か?


関係フレーム理論(英語:Relational Frame Theory:略名RFT)とは、人間が言語を操り、学習・思考・行動することができる目に見えない知的能力を明らかにしようとする理論です。

先ほどの例のように、本物のごはんを見て「ごはん」という言葉を聞いて学習しただけで、本物のごはん⇒「ごはん」という関係性を結んだだけでなく、「ごはん」という言葉⇒本物のごはん、という関係性も理解してしまいました。

これは相互的に関係付けて理解ができる人間の特定能力であり、この理論では「相互的内包」といいます。

本物のご飯「ごはん」が本物のご飯「ごはん」という相互的理解になったということです。

その上で「ごはん」という言葉は英語で「food」ということを繰り返しその子に教えたとします。

すると「ごはん」=「food」ということが関係付けて学習されますよね。

ただ人間がすごいのは、「food」=本物のごはんという関係性を教えていないのにも関わらず、それらを派生させて理解してしまうのです。

ようするに「本物のごはん=ごはん=food」という複合的な理解ができるということです。

これを関係フレーム理論では「複合的相互的内包(複合的内包)」といいます。

「food」という言葉で本物のごはんも「ごはん」という日本語も内包して理解しているということです。

私たちにとってこれは当たり前のようにやっていることなのでわざわざ学問で小難しく理論立てしなくてもいいんじゃないか?と思ってしまいますが、人間と人間のこころを理解するには実は重要な核になる可能性があります。

ようするに私たちの学習や思考、行動がどのような手順やシステムで動いているかを知る手がかりになるのです。

それは動物にはない、地球上で最も進化した人間唯一の知的能力と言えます。

さて次に本物のごはんを食べると電気ショックが流れるという仮の実験設定を繰り返し行っていくとしましょう。

すると本物のごはんに電気ショックで感じる痛みや苦痛が刺激機能として学習されます。

仮にこの被験者が苦痛に対して恐怖や不安を感じる恐怖条件づけがされたとしましょう。(古典的条件づけ)

すると「ごはん」という言葉や「food」という言葉を聞いただけでも恐怖や不安を感じ、拒否、逃避、回避行動が出やすくなってしまいますよね。

この時「ごはん」と「food」という言葉には電気ショックとそれによって感じる痛みや苦痛を関連付けて学習はしていないはずです。

ということは本物のごはんで関連学習された苦痛や恐怖反応という刺激機能が言葉の「ごはん」「food」の刺激機能にも変換されたということです。

これを「刺激機能の変換」といいます。

直接的に経験しなくても関係性を理解、推測して学習できるということですね。

これは恐怖症や不安症、トラウマなどの恐怖や不安などをお持ちの方はピンとくるはずです。

ちなみにこの変換は、苦痛や恐怖などのネガティブなものだけではありませんので、美味しいご飯を食べて非常に心地よい気分を得られればその料理名を聞くだけでヨダレが出たり、良い気分を感じたりします。

これら3つの機能こそ人間の進化の証であり、私たちがこれほどまでに高度な文明を築き、知的な思考を繰り返すことができているのです。

ここまでは「=」という「等位」の関係を見てきましたが、次に「大きい」「小さい」という「比較」の関係性から3つの特徴をおさらい的に見ていくとこうなります。

①A<Bという関係性を学習した時にB>Aも理解した(相互的内包)
②A<BとB<Cという関係性を学習した時にA<CとC>Aも派生的に理解した(複合的内包)
③Bに恐怖条件づけを行うとAはBより弱い恐怖反応を、CはBより強い恐怖反応を感じた(刺激機能の変換)

ちなみに刺激と刺激を関係づける関係性をまとめると、

①「等位」(ごはん=食事)
②「比較」(ブリはイワシよりも大きい、身はイワシよりブリが多い)
③「相違」(ブリはイワシではない)
④「空間的関係」(前に/後ろに、上に/下に)
⑤「時間的関係」(先に/後に)
⑥「因果的関係」(もしも○○なら○○)
⑦「階層的関係」(~の一部)
⑧「視点の関係」(わたし/あなた、ここ/あそこ)

などがあります。

また先ほどの3つの特徴をもう少しわかりやすく説明すると、

①一方向の学習しかしてなくしても双方向の理解ができる
②学習していなくても理解している関係性から派生して新たな理解ができる
③ある刺激による感情や反応が他の刺激にも複写される

という機能を持っているということです。

このように「関係フレーム理論(RFT) 」では、

① 「相互的内包」
② 「複合的相互的内包(複合的内包)」
③ 「刺激機能の変換」

の三大機能によって「関係フレームづけ」が行われていると考えます。

このフレームという言葉は、私たちが認識する物事をどんなものでもフレームの中に当てはめることができるという意味があります。

私たちはひとつの知識を経験則であったり、テレビや本、他人の声を参考にしてそのひとつの情報からさまざまな知識を関連付けています。

その一連のシステムを関係フレームとすると、そこに「関係づけ」ていくので関係フレームづけといいます。

他にも重要な条件づけ学習を簡単に説明すると、

などがあります。(詳しく知りたい方はリンクをクリックしてご覧下さい。)

「関係フレーム理論(RFT) 」にはもう一つ大きな核となる専門用語がありますので今度はその説明をしていきたいと思います。

恣意的に適用可能な関係反応(AARR)


恣意的に適用可能な関係反応(英語:arbitrarily applicable relational responding、略名:AARR)とは、人間の言語や認知、行動の中核になっている本質的なものを表す「関係フレーム理論(RFT) 」における概念です。

「恣意的(しいてき)」とは、論理的な必然性がなく、自分の思いつきや勝手なふるまいで行う様を表しています。

反対の意味は「意図的」です。

幼い子供がその物の名前を覚えるため「これはごはんです。」と親に繰り返し教わって、「ごはん」と言えるようになり、「よくできました」と褒められるような双方向の文章(文脈)を用いた練習を私たち人間は行います。

この繰り返しによって当たり前のように物質や物事に対応する音声と言語を学びます。

しかしこの物質と言葉(音声)との間に見た目的な(形態的な)関連性はありません。

勝手に日本人が日本語で「ごはん」と言っているだけで、別の言語圏では異なる言葉が対応します。

私たちは社会的な集団を持つ生物ですので社会的な共通理解とルールの基に生活しています。

多くの先人たちの努力の結晶によって今が成り立っており、それは多くの人のさまざまな意図によって生まれていますので、なんだかおかしいような気がします。(そこを受け入れられないというか。。。)

ですがこの考えはもっと根源的なところを訴求しています。

例えばメールで(笑)という表記をしていたところを誰かが思いつきで「w」という表記を思いつき流行となり、またそののちに「草」という表記を思いつき、流行っていくといった現象が日本にあります。

その根源は論理的や必然性というよりは「思いつき」「勝手気ままなふるまい」によって生み出されました。

私たちが使っている日本語の最も基本となる「あいうえお」も日本に住み始めた日本人が最初から使っていた言語ではありません。

サンスクリット語をベースとして12世紀ごろに「あいうえを」が出来上がり、言語学者の本居宣長が18世紀に「あいうえお」に確定し、「いろはにほへと」文化もありましたが、明治中期に「あいうえお」が教科書で紹介され今に至ります。

このように今使っている言語ですらなんとなく思いつきや勝手気ままなふるまいから生まれて理論整然とした理論をつけて社会性を持たせています。

この「思いつき」や「勝手気まま」という表現の解釈が難しいですが、それは人間を馬鹿にしているような意味ではなく、人間の思いつき、人間の勝手な解釈で人間の使い勝手がいいように関係付けているということです。

人間の世界ではより良いと思って「意図的」に関係付けているようでも、論理的必然性なく刺激と刺激を関係付けているとこの学問では言えるということです。

そのあたりのニュアンスを理解するためには「非恣意的」という概念が役に立ちます。

「非恣意的」 とは、見る・触れる・匂いを嗅ぐなど感覚器官で知覚できる決まりきった物質的で形態的な性質のことを指します。

それはイワシよりもブリのほうが大きいといったように人間以外の動物でも理解することができるものです。

ですので「恣意的に適用可能な」という言葉は、人間の社会を運営していく上で決めた決まり事と言うことができます。

さてこの「恣意的に適用可能な関係反応(AARR)」で重要な点は、私たちは思いつきで、勝手気ままに関係性を見い出して、関連付けるという根源的な特性を表しているということです。

そしてそれは自分たちのニーズや目的によって紡がれていきます。(おそらく好みや癖などの影響もあるでしょう)

複数の被験者に「あなたのこと嫌い」と言われる経験をする実験をしたとします。

ある人は、「なぜですか?」と聞き返し、その真意を聞くことができました。

ある人は、「そうなんですか」と反応し、嫌な思いをしたもののあまり「まあいいか」とあまり関係づけずに終わりました。

ある人は、「何か自分が悪いことをしたのかなあ?」と疑念を持ちますが見当がつかないため、嫌いと言ってきた人の過去の評価を無意識的に思い出すと、人に嫌味を言う嫌われ者だったと再認識し、そこに強く関係づけてその人の責任にしました。

ある人は、「ショックだ、やはり自分は嫌われているんだ。他の人も自分を嫌いなんじゃないか?やっぱりそうじゃないか」と思考を繰り返し、自分の責任に強く関係づけて落ち込み、ふさぎ込んでしまいました。

さて4つの対応例と関係付けを見てみましたが、一見すると理論的であるようにも感じますが、事実は「あなたのこと嫌い」という言語と音声のみです。

また「あなたのこと嫌い」という言語(音声)に関係づけられている苦痛や受容感、解釈によって反応が変化していることがわかります。

ですので今までに関係付けている自分の思い込みや知識によって思考の進む方向も変化していきやすい傾向があります。

ここでもう一つ重要になるのが「イメージ」や「イマジネーション」などの仮想現実を私たちが創り上げられるということです。

例えば「嫌いと言われたけどこうなったらいいなあ」とポジティブな想像を行うこともできれば、「周りのみんなも嫌いなんだな」というネガティヴで具体的な映像を脳裏に描くこともできます。

それは良い方向で用いると新たなアイデアや理想像を描き、それを実行することができますが、良くない方向で用いると非常にネガティブなイメージやイマジネーションの中に身を置いてしまいます。

関係フレームづけのダークサイド


イメージやイマジネーションなどのバーチャルな仮想世界を作り上げられるのは、私たちの「恣意的に適用可能な関係反応(AARR)」と 「相互的内包」「複合的相互的内包(複合的内包)」「刺激機能の変換」 によって関係フレームづけが可能になるからです。

ポジティブな側面で活用できると良いのですが、生物的進化で高度に育んできたこの機能と能力にはネガティブな側面も併せ持ちます。

その言葉とバーチャルな世界がネガティブな関係フレームづけされていくと現実にはありもしない苦痛をリアルに感じてしまうのです。

傷つき、苦悩し、仕事や学校を休んだり、辞めて安全な場所を確保してもその過去の苦悩が永遠のようにつきまとう経験をしたことがある方は非常にわかりやすいと思います。

また受けた被害をさらに拡大してしまい、何度も自分を頭(心)のなかで傷つけるといった経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。

私たちは高度な進化の過程で副作用をもたらす諸刃の剣のような機能も持ってしまったということです。

まだ経験していないことまで学び、予測できるがゆえに必要以上に臆病になったり、逃避や回避をしてしまうジレンマも抱えやすくなってしまいます。

昔から伝統的に言われている「ポジティブに考えよう」とか「気にしない」という教えは、ポジティブな関係フレームづけを行ったり、関係フレームづけ自体を行わないようにする、実に理にかなっている知恵と言えます。

しかしこの知恵に異を唱える人や反抗せざるを得ない人、思考好きのかたにとってはこの教えを上手く使用することができず、余計に苦しんでしまうこともあります。

思考を巡らせて確かに良いこともありますが、すぐに切り替えて、忘れて、行動していればもっとより多くのものを得ていたと後になって思えることも多いかもしれません。

「個性」として捉えたい人はその反面のダークサイドも一緒についてくるのでそういった点を踏まえて、うまくお付き合いしなければなりません。

ありもしないネガティブな評価に関係づけることには特に注意しておく必要があります。

「私たちは何に関係付けるか?」という視点は、思考を変えるとか、認知を変えるとかといった方策よりももっと根源的なレベルでの良策になるのかもしれません。

なぜなら私たちのこの関係フレームづけの基本スキルが学習されると言語・思考活動の複雑性が幾何学的レベルで急増してしまうからです。

人間特有の高度な言語行動


私たちは人間です。

ですので自分たちが当たり前にやっていることがどれほど生物学的に高度な事を行なっているかどうかを理解することが実に難しいものです。

今まで説明してきた関係フレームづけがどのように私たちの言語や思考、行動に影響を与えるかを知るためには、私たちの言語を使った行動を知らなければなりません。

「ごはん」と言う言葉があったら、食事のごはんなのか、白いお米の方のごはんなのか、がわかりません。

しかしお母さんが「ごはんよー」と言ったら食事ができた、と経験による関係フレームづけによってそれを理解できます。

ここで人間の高度な言語行動として、「アナロジー」と「メタファー」を紹介します。

アナロジーとは、問題が起きた時に経験則から問題解決を行うときに用いられます。

物事の間の共通点などから類似している事やその類似点から他の点を推論するのが「アナロジー」と言うことです。

「アナロジー」の一種である「メタファー」は例え話、〜のようだ、人に例える擬人化、物語化、引用などの表現のことです。

要するにイメージを膨らませたり、普通に言うよりも簡潔であったり、わかりやすかったり、より色々な解釈ができる、といった人間のみが用いる高度な言語技術です。

私たちは幼児のようにおもちゃが欲しいときに「おもちゃ」といった言葉を単体で用いません。

「おもちゃが欲しいから取って」など言語を組み合わせて文章にして使いこなしています。

行動主義では言語文章のことを「文脈」といったりしますが、文脈を使い、アナロジーやメタファーも含ませて思考し、発言し、理解し、行動しています。

動物はそういった事ができません。

言い方を変えてみると動物はそういう機能を持ち合わせていないために「今、ここに」フォーカスをし続けて生きています。

人間はこういった高度な言語行動ができるが故に「今、ここに」いることが難しい生き物になってしまったと言うことでもあります。

なぜ近年マインドフルネスが流行り、活用されてきているかはこれでよくお分かりになるのではないでしょうか。

ルール支配行動


この理論でのルールという言葉は私たちが使っているルールよりも広い意味で使われています。

例えば、

「ごはんを食べなさい」
「ごはんを食べると元気になるよ」
「ごはんをしっかり食べると将来健康で元気な大人になるよ」
「ごはんを食べないと死んじゃうよ」

といった言葉(文脈)など、他人の指示や教え、他人の経験談などもルールに含みます。

「○○すれば(しなければ)○○という結果が伴う」というように行動と結果が両方が提示されているものが該当します。

人間の行動の大部分はルール支配行動であることがお分かりになると思います。

これらは私たちの価値観や行動の動機付けになっている重要なものですが、話し手側ではなく、聞き手側の行動に関することを表します。

私たちはそのルールを理解したとしても必ずそれに従うとは限りません。

その教えや指示が間違っていると感じた時や自分の欲求と矛盾している時などがそうでしょう。

ルール支配行動は、「プライアンス」「トラッキング」「オーグメンティング」の3つに分類されます。

プライアンスとは「◯◯しなさい」と指示されてそれに従う行動のことです。

その行動による報酬や罰などによる影響ではなく、ルールを提示した者から与えられる報酬や感謝、笑顔などの好子、罰や怒るなどの嫌子によって行動が惹起するものになります。

これによって他者からの要求や指示に従順になりすぎたり、トラッキングすることを妨害してしまうことがあります。

トラッキングとは、ルール提示者の信頼性と過去の経験を用いた判断から行う行動です。

ルール提示者は人物だけではなく、クチコミや説明書なども含みます。

発達的にはプライアンスから始まり、徐々にトラッキングが使えるようになるといった具合です。

ここで社会不安障害を例にしてみます。

「私は出かける事ができない。でかけることは不安をもたらすから」というルールに従って実行すると短期的には正しくトラッキングできているのですが、長期間になると逆効果になってしまうことがしばしばあります。

頭では長期的に逆効果になる戦略であることはわかっているのにその行動を行なってしまうのです。

これは「理解」の問題ではなく、「ルール支配行動による問題」と関係フレーム理論では考えます。

それは短期的戦略はルール支配行動上「正しいことをしている」という結果を得ることからこのような現象が起こるとされています。

この考え方は非常に多くの心理相談に寄せられる問題の理由付けの仮説として重要な視点を与えてくれます。

オーグメンティングとは、プライアンスやトラッキングのいずれかと組み合わさって起こるもので、行動を起こす好子や動機づけのようなものです。

オーグメンティングは「形成オーグメンタル」と「動機づけオーグメンタル」の二つがあります。

形成オーグメンタルとは、「それは非常に希少だ」と言われるとより購買意欲が高まるように、すでに成立していた関係性に新たに強化的(弱化的)特質を補強させるものです。

動機づけオーグメンタルとは、自分の知っている食べ物の美味しそうな広告を見ると食べたくなる(強化)ように、既に確立された強化子(弱化子)となっている対象の強化(弱化)機能を高める(低める)確率を変えるものです。

うつ病の方は過去の出来事について、長期間に渡ってこだわり続けていることがあります。

人によっては何らかの苦痛を伴う思考や行動を回避する意味でも行なっていることもあります。

しかしこの理論では、以下のようなルールによってオーグメンタルとして機能してしまうと指摘しています。

「気分が良くなるためには、私は抑うつの気分をなくすことに取り組まなければならない。そして人生において重要なことを達成するためには私は気分が良くなければならない」

このような無意識的な潜在ルールの「指定」によって私たちは不合理な思考や行動をとってしまうことがあるのです。

そのときには私たちの統制や意志、出来事をコントロールする能力がかなり限られたものになってしまいます。

私たちは多くのルールを学び、活用して生かせることも多くありますが、そのルールに縛られ、正しいようで正しくない行動の支配を受けてしまうこともあるのです。

その問題の本質は「ルール」にはあるというよりは、私たちが「ルールに従ってしまう」ということにあります。

特に「問題のあるルール」に従ってしまう時に問題のある行動に発展します。

そういった問題が起きる時の多くに脅威やそれに伴う苦痛を回避したいとする「体験の回避」があります。

これは関係フレームづけによって計り知れないほどの接点を結びつけて、広げてしまいます。

おわりに


「関係フレーム理論」と「関係フレームづけ」をできるだけわかりやすく書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?

関係フレーム理論と関係フレームづけは私たちの言語行動の根源を明らかにすることと同時に苦悩の仕組みを解き明かすための重要な理論であると言えます。

私たちが関係付けたり、派生させたり、想像して結びつけるものは、正しいものもあれば、おおよそ真実とは言い難い勝手な結びつけも行われます。

特に「ネガティブな関係づけ」や「問題のあるルールに従ってしまう」ことには注意が必要です。

例えば失敗を繰り返してしまった人が「自分はダメな人間だ」と結びつけたとしても、本当にそうでしょうか?

失敗したところに限定すると確かにダメであっても他にはいろいろ良いところもあります。

それが人間社会にとって真実に近いところだと思いますが、私たちは勝手に関係付けてしまいます。

この理論を学ぶと「そういうことでそうなっていたんだ」と少し理解が進むのではないでしょうか。

そういう視点を獲得できれば充分だと思います。

この理論もまだまだ研究がされており、今後ますます明らかになってくるところも増えてくると思います。

昔から言われる伝統戦略である、

「気にしないほうがいいよ」
「まあ仕方ないんじゃない」
「ポジティブにいこう」
「切り替えよう」

といったシンプルで少し味気ない方策が、いかに私たちの人生を悩み多き時間から救ってくれるかを証明しているように私は感じました。

一昔前なら朝から晩まで忙しく働いていた時代から今では時間に余裕がある設計がされている時代になりました。

昔は忙しさゆえに「気にしない」「忘れよう」という戦略も使いやすかったかもしれません。

現代では時間に余裕があるために自由に考えたり、思考できるのですが、そのゆとりのダークサイドはネガティブな関係づけ地獄に行き着いてしまうこともあります。

その時代で苦しみの質は異なるかもしれませんが、伝統的な処世術は現代でも有用であるように思います。

またもっとテクニカルな手法を用いたい方は、マインドフルネスや関係フレーム理論をベースにした心理療法「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)」を学んだり、受けられてみるといいかもしれませんね。

※一部「認知行動療法(CBT)」でもこの理論に基づいた設計を組み込んで行っている場合もあります。

この「関係フレーム理論」と「関係フレームづけ」という知的機能の原点は私たちに大切なことを教えてくれます。

シンプルに言えば、思慮深く考えることも大切ですし、気にしないで行動していくことも大切だ、ということですね。

個性によって千差万別ですが、自分に適したバランスでご活用いただけたら幸いです。

重要な理論なので長々と説明してきましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございます。

参考文献
関係フレーム理論(RFT)をまなぶ 言語行動理論・ACT入門  ニコラス・トールネケ (著), 山本 淳一 (監修), 武藤 崇  (翻訳), 熊野 宏昭  (翻訳)

記事監修
公認心理師 白石

「皆様のお役に立ちますように」

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