過去の心理学者・臨床家・研究者の人物像や提唱された内容から今に学べることは多くあります。
ここでは心理学に多大な影響を与えた人物であるカール・ユングと「集合的無意識」「ユング心理学」について書いていきたいと思います。
カール・ユングについて
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は1875年にスイスの小さな村ケスヴィルでプロテスタントの牧師の家庭に生まれます。※母親はうつ病で苦しむことが多かったようです。
ユングは、幼い頃から自分の内面に注意を向けて思索することやサンスクリット語と多くのヨーロッパ語などの語学を学び、習得していきました。
1895年にバーゼル大学医学部に入学し、精神医学などを学びます。
この頃のユングは、ゲーテの「ファウスト」やニーチェの著作などに感銘を受ける一方で、降霊術やオカルト現象などにも興味を持っていました。
1900年に大学を卒業後、チューリッヒ大学精神科クリニック「ブルクヘルツリ」に勤務し、人道主義で賞賛されていたオイゲン・ブロイラーの助手を務めます。
1902年にはサルペトリエール病院のピエール・ジャネのもとに留学し、さまざまな影響を受けています。
1903年にエンマ・ラウシェンバッハと結婚し、のちに5人の子宝に恵まれます。
1907年ごろからジークムント・フロイトと親交が始まり、フロイトの後継者と目されるほどでありました。
フロイトは無心論者でしたが、ユングは目に見えないものや不思議な現象に対する関心があり、理論的な相違などから次第に疎遠になり、別々の方向へ進んでいきます。
患者ザビーナとの不倫関係が終わり、フロイトと別れた時期からユングは精神的不調と幻覚に悩まされます。※ザビーナはその後フロイトに師事し、精神分析家となります。(映画にもなっています:危険なメソッド)
その後は、心理学クラブの設立、アフリカやアジアへの文化人類学的調査、中国の曼荼羅への関心、ユング研究所の設立などの活動を行い、1961年に逝去されました。
主著には、
1912年「変容の象徴」
1921年「心理学的類型」
1934年「原型と集合的無意識」
1945年「夢の本性について」
1946年「転移の心理学」
などがあります。
集合的無意識
ユングが魅了されたのは、世界中のさまざまな社会が文化的にも異なっているにもかかわらず神話やシンボルなどが非常に似通っているところでした。
そして人間の精神の無意識の中には「集合的無意識」があると考えました。
その集合的無意識の中には、代々の先祖の記憶が積み重なった「元型(アーキタイプ)」があるといいます。
ユングによれば魂は、①自我(エゴ)、②個人的無意識、③集合的無意識からなっています。
また「ペルソナ」という言葉の概念を提示したのもユングであり、周囲に適応するために仮面をかぶるような自分の外的側面のことを指します。
人間は自らの人格をいくつか分割し、複数の自己を状況や環境に合わせて選択的に用い、共有していることに気づいていました。
また「影(シャドー)」という概念も今に影響を与えていて、秘密や抑圧していること、恥ずかしいことなど隠したいものを表します。
この「集合的無意識」という考え方は、スピリチュアリティ領域で参考にされることが多く、今でもよく引用されています。
ユング心理学
無意識を分析する点はフロイトの精神分析学と共通していますが、集合的無意識も含めた分析をユング心理学では行います。
ユングの考えでは、夢は意識的自己と永遠の自己(自我と集合的無意識)との対話だとしました。
クライアントとセラピストが対等な立場でその夢について話し合い、意味や目的を考えていくことにより治癒を行なっていく技法を基本としています。
心理学者の河合隼雄さんは、日本人で初めてユング研究所でユング派分析家の資格を取得し、日本においてその普及と実践に貢献されました。
⬛️ユングの人格類型とマイヤーズ・ブリッグス
ユングは外向的と内向的と分けて思考タイプ、感情タイプ、直感タイプという8種類に分類した人格類型をユングは提唱しました。この概念はのちにマイヤーズ・ブリッグス尺度(MBTI)などの性格検査に影響をもたらしました。
最後にユングの名言をご紹介します。
無意識を理解することで、私たちはその支配から自由になれる
カール・ユング
参考文献
心理学大図鑑 キャサリン・コーリンほか
記事監修
公認心理師 白石
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