「共感」という言葉はよく知られている言葉です。

カウンセリングではとても大切な基礎的な技法や態度でありますが、日常生活や仕事などでもその重要性は高くなってきています。

この記事では、あらためて「共感」について様々な方向から理解するために解説と考察を行っています。

共感とは何か?


共感(読み:きょうかん、英語:empathyまたはsympathy)とは、相手の感情や気持ちに「その通りだ」と感じることです。

「共に感じる」という字のごとく、共有された感覚が得られるものです。

自分が共感していると思っても相手が共感されていないと思えば、相手にとっては「共感」に値しないこともあります。

このように自分だけでは成立しないことから「自分」と「他者」の視点で考えなければうまく成立しないということです。

お互いが共感し合うと「共鳴した」「通じ合った」とお互いが感じます。

共感という言葉の歴史は、ドイツの哲学者テオドール・リップスが20世紀初頭にEinfühlung (感情移入) の概念を説明し、心理学者のエドワード・ティッチェナーによって「empathy」という言葉が広まったとされています。

「empathy」という英語の言葉の由来は、古代ギリシャ語の「empatheia」にあります。

エンパシーとシンパシーの違いとは?


日本語で「共感」と言っても英語ではエンパシー(empathy)とシンパシー(sympathy)があります。

どちらの言葉も「共感」という意味を持ちますが、エンパシーは「共感」と訳されることが多く、シンパシーは「同情」と訳されることも多くあります。

つらい事やネガティブな出来事に遭遇した方に対して「シンパシー(同情)を感じる」といったように、シンパシーは負の出来事に対する同情的な共感を表します。

エンパシーはネガティブな出来事も含めてもっと幅広い「共感」を意味します。

またエンパシーは、「感情移入」と訳されることもあります。

「感情移入」とは、自分の持っている感情や気持ちを「もの」や「他者」に知らずうちに移し入れてあたかもそのような感情や気持ちを持っているかのように感じ取ることを意味します。

それはただ単に自分の気持ちや感情を移し入れるだけではなく、相手の感情や気持ちに「わかるわかる」と共鳴や共感をして、自分の思いを移し入れる状態も含みます。

これらの違いはあまり厳格に定義付けされてはいませんので説明される方によって解釈が異なるように感じます。(ややこしいですし、このような定義や違いを説明することはここではあまり意味を成さないかもしれません)

思っているより大きな影響を与えている「共感」


友達に関する質問として「なぜその人と友達になりました?」と聞かれると、

「友達になりたいと思ったから」「自然に友達になった」などの理由があげられると思います。

その背景には多くの場合、「共感」があります。

「類は友を呼ぶ」といった言葉があるように、自分と似たような人物や共に共感できるものがある者が友人になり易くなります。

婚約者も同様でしょう。

何も共感できないのに結婚しようということは、恋愛結婚ではまずあまりないことでしょう。

仕事も多くの場合、共感と関わりがあります。

職種や業界の好みに共感し、会社の理念に共感して志望動機が高まります。給料が良いだけで志望する場合も給料が良い仕事が好きといった具合に共感しています。

好きなドラマ、映画、アイドル、芸能人、ファッション、YOUTUBE、趣味なども自分が持っている「好み」と「共感」が深く関係しています。

このように「共感」は私たちの人生の多くに影響を与えています。

意識的に用いる「共感」よりも無意識的に行なっている「共感」がいかに多くあるか理解できたと思います

無意識的な「共感」が思っているよりも大きな影響を自分の人生に与えているのです。

好みと共感


「自分はこれが好き」というものがあれば同じものが好きな人と共感し合えるものです。

「自分はあの人が嫌い」という好みを持っていると、その相手には共感が持てないでしょう。

しかし「あの人が嫌い」という同じような意見を持つ人と共感を感じられます。

このように見えない「共感」と「非共感」によって、人とのご縁やつながり、別れなどが現実的に起きている可能性があります

科学的にどこまでわかっているかわかりませんが、相手に共感を持つと相手も共感を持ちやすいことを私たちは経験的に知っています。

先ほどの承認欲求や目に見えない安全性(危険ではない感覚)などを無意識的に感じ取っているのかもしれません

「あの人から嫌な感じが感じられる」「なんか嫌な雰囲気」という時に仕草や態度、そして何かしらこのような目に見えない「好み」や「共感性」の意図を感じているのかもしれません。

また好みや共感性は仕草や態度に現れるものです。

このように自分の好みや共感する方向性によって人との繋がり、仕事、人生に大きな影響を与えています。

「共感」には種類がある


共感は学術的には「情緒的共感」と「認知的共感」の2種類に分けられます。

情緒的共感(英語:affective empathy)とは、相手が感じている感情や気持ちを自分の感覚として感じることを指します。

認知的共感(英語:cognitive empathy)とは、相手の状態や立場を理解・推測できることを指します。

こころを感じる「情緒的共感」とあたまを感じる「認知的共感」があるということです。

両共感はともに相手の気持ちを汲み取ろうという気持ちが大切であり、認知的共感は「洞察力」がとても重要になります。

情緒的共感は、その人の心にフォーカスした感情や感覚を感じる共感ですが、認知的共感は、相手が考えていることや状態などを理解するように共感していきます。

どちらも相手を理解しようとすることですが、情緒的共感はこころを使って感じる共感であり、認知的共感はあたまを使って考える共感であることが多いと思います。

多くの場合、「共感」のイメージは「相手の気持ちを汲み取る」情緒的なものであることの認識が強いかもしれません。

相手がどのように思っているか?どのように感じているか?という自分から相手の気持ちを推測することだけではなく、

・相手の立場を理解する
・相手の視点で考える
・相手がなぜそう思うのか
・相手がなぜそのように行動するのか
・相手がどうしたいか
・相手がどのように考えているか

といった相手の立場になって状態や相手そのものを理解することも重要であることがわかります。

究極的な「共感」は、こころの情緒的な側面と相手の立場と認知的側面の両面への理解がなされることなのかもしれません。

情緒的共感と認知的共感が共にあれば、人間関係もスムーズになり、友人に恵まれ易くなります。

だれでも人から共感してもらうことは喜びを感じるものです。

それは人から好感を持たれた、支持された、同意されたという感覚になり、心理学的には「承認欲求」を満たすものでもあります。

※承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、他者から認められたい・価値を認められたいと思う欲求です。

情緒的共感があればあるほどいいかというとそうでもないかもしれません。

情緒的共感が強すぎると相手の気持ちや感情を強く感じ、振り回されてしまうことがあります。

情緒的共感が少なくても問題が起きることもあり、相手の気持ちや感情がわからないために空気が読めなかったり、意図せず傷つけていることがあります。

認知的共感でも同様に、強すぎると相手の立場を重視して自分を軽視してしまったり、認知的共感が弱すぎると相手の状態や立場、考えていることを無視した行動や言動をとってしまいます。

このようにあればあるほどいいというわけでもありませんが、自分と他者とのバランスがとても大切になります。

病気や疾患などによっても情緒的共感が理解しにくい、認知的共感が理解しにくいといったケースもあり、人によって得意とする共感や感度に差があります。

他人に「なんで理解できないんだろう?」と思う経験をされたことがあると思います。

それは、自分の感覚とその相手との感覚に違いがあり、「共感できない状態」ということになります。

遺伝などの先天性や生まれてからの後天性によって今お持ちの「共感性」が形成されています。

ではこのまま一生変わらないかといえば、自分の意志と共感性を育む経験によって「共感するチカラ」を成長させることができます。

共感性を育む


共感性を育むには、自分がどのような共感性を持っているかという理解と共感性を育みたい意志と動機が必要です。

特に「共感性を育みたい」という意志がとても大切です。

あらためて「共感」を説明すると、

・相手の気持ちや感情を自分のことのように感じること
・相手の立場やその立場から考えられることを感じること
・相手のどのように考えるかという考え方や好みを理解・知覚すること
・相手がどのようにしたいか?などの要望を理解・知覚すること
・相手の視点に立って考えること

などを表します。

共感性を育むには、いかに「相手の視点に立って考えられるか」ということが大切になります。

言葉で言うと簡単なようですが、そんなに容易なものではありません。

なぜなら自分の考え方や意見を一度隅においておかなければならないからです。

自分に強い感情や気持ちがある場合は、相手の身になって考えることはなかなかできません。

そして「相手を自分のように感じる」ということにも深さや広さがあります。

「こう思っているだろうな」という軽い推測もあれば、自分自身がその相手になりきって感じて理解する深い思慮もあります。

自分の意図が入り込めば、誤解をまねくこともありますので自分の意図や欲求が入り込んでいないかチェックする必要があります。

一般的にはここまで行う必要があまりないかもしれませんが、カウンセリングではとても大切なところです。

しかし「ビジネスなどでお客様の視点に立つ」ことがいかに大切かを説く成功者の方々も多くいらっしゃいます。

その方々が言うには、ついつい「何を提供すればいいのか?」という会社側の視点になってしまうことが多く、お客様の視点に立って「何を提供して欲しいのか?」という問いが重要だ、と言われます。

このように私たちが生きていく上で相手の視点に立つ「共感性」は非常に重要な役割を果たします。

共感性を育むには、「自分を隅に置いて相手の視点に立つ」という経験を繰り返し、その能力を育てていくことが基本になります。

あまりそのように考えることをしていなかった場合、なかなか最初はうまくいかないかもしれませんが、人間は慣れることによって神経ネットワークが変化し、使いやすく、行いやすくなる機能を持ち合わせています。

育み①自分を隅に置いておける能力

自分の気持ちや感情が強ければ、なかなか相手の立場に立って考えることはできません。

自分の気持ちや感情を落ち着かせることがうまくできる能力と自分を隅に置いておける能力は比例します。

この能力も言葉にすると簡単なようで実際は難しいものです。

自分の感情や気持ちをしっかり肯定したり、整理した上で、落ち着いた時に相手の身になって考えるということができます。

自分の気持ちや感情が整理できなくても相手の立場になって考えたら「だからそうなったんだ」と広い視点で理解できるようになり、自分の気持ちや感情が収まったりすることもあります。

そういった判断の勘どころも重要かもしれません。

育み②好みが違う人への許容

簡単ではありませんが、「好み」自体を広げることができれば、多くの人と共感できることが増えます。

好みを広げるとまた新たな出会いがあったり、今まで仲良くなかった人と新しいご縁をつなぐ可能性を高めます。

好みが異なる場合の許容は、好みを変えることよりは少し容易になります。

自分と考え方が違う人、好みが違う人も「それでいいじゃん」と思える場合と「いやそれはダメでしょ」と思う場合では大きな差を生みます。

そしてそれは仕草や態度、目に見えない何かなどで相手に伝わってしまいます。

ご自身が許容したいと思わなければできませんが、「自分とは違う」ということに対しての「許容」ができればできるほど、生きやすくなったり、ご縁や繋がりができるものです。(繋がろうと思わない場合は別ですが)

近年、個性を表に表すことが容易になり、個性の多様化が目に見える形になってきました。

TVやメディアで偏った報道をしているとクレームが来るということでなかなか報道や伝えるということが難しくなってきています。

それは色々な個性や考え方を持つ人が共に生きている今の時代の特徴的なものです。

自分と違う人たちへの許容が「共感性」を育ててくれます。

許容とは、受け入れることです。

受け入れるということは、「まあいいんじゃないかな」といった気軽な感覚から「それもいいと思う」という同意まであります。

「なんで?」という言葉が自分から出る時には「受け入れられていない」状態を示すことが多いので、目安になるかもしれません。

「なんで?」と思ったら相手の立場で考えてみることも何かヒントになるかもしれません。

育み③感じる力

共感する力や気持ちを汲み取る力が強い人を「エンパス」や「エンパス能力が高い」と言ったります。

あまりに感じすぎて疲れてしまうこと人もいますが、少なすぎると相手の気持ちを感じられなかったり、問題になってしまうこともあります。

人によってこのような感じる力は異なります。

また自分の意図や使い方によっても、強くなったり、弱くなったりします。

どのくらい相手のことを考えるか?というバランスが自分にとってちょうど良いところを探していくことが重要です。

相手の気持ちを汲み取るだけが「共感」ではありません。

相手がなぜそのような気持ちや思いになるかを理解することも「共感」の大切なところです

そういったどこまで深く相手を理解するかによっても「共感」の深さが異なります。

当カウンセリングなどでは、その方法を詳しく実践できるようにセッションでよく用います。

なかなか記述して理解できるものではないので、申し訳ありませんがここでは割愛します。

育み④相手と自分の折り合い

相手の立場になって考えたり、気持ちやその背景を理解することができても自分との意見と折り合いが付かなければなかなか意味をなさないこともあります。

相手は相手、自分は自分、とある程度の境界線を引くことが大切になります。

そして第三の視点として客観的な立ち位置に立って観ることも重要です。

遠くから眺めていると、近くでものを見つめていると見えなかったものが多くあります。

「相手はこうで、自分はこうなっているな」と冷静になって感じて観てみると、今まで見えていなかったものを発見できるかもしれません。

この状態はすぐにできるものではありませんが、自分の気持ちに整理をつけ、相手に共感した上でできるようになります。

毎回このようなことをしなくても良いのですが、このようにできる能力を育てていけばいくほど、問題が起きにくくなったり、解決や建設的な方向へ向かうことが進んでいきます。

自分の気持ちに整理がつかない時は「共感なんてできるか!!」と思うものです。その時はそれでいいと思います。

少し風化するのを待つのも大切です。

育み⑤理解の奥深さ

相手のことを感じる「共感」は推測でもあり、本当に感じれていることもあり、的を得ているのか?的を得ていないのか?がわからないこともあります。

確認をしなくても理解できれば、理解した上での仕草や態度、言動になりますので相手の反応が変わることがあります。

こちらの執着が外れて「ふわっ」と柔らかくなると、相手もその雰囲気や意図を感じることも多くあります。

理解できても「納得できない」「許せない」という自分の意見や思いがあるとそれも相手に伝わり、うまくいかないこともあります。

ある程度のラインまで理解し、自分の気持ちが整理できて、相手の反応が変化するということが起きるように思います。

そういった原始的な察知能力を使わなくても直接聞いても場合によってはいいのかもしれません。

育み⑥自分を省みる力

ついつい人間は自分が可愛いもので、自分が正しいと思ったり、「なんで?」と相手を理解できなかったりするものです。

それは生物学的にも自己を守る機能として大切なものですが、行き過ぎると「自分を省みる」ことができなくなります。

自分を省みる(かえりみる)ことは、自分を罰することや批判することではありません。

ですがついつい自責や自己批判につながってしまいます。

そうやってクセづけられた学習が根底にあるからです。

この学習を和らげるはカウンセリングや心理療法では大切な場合も多くあります。(詳しくは直接お聞きください)

自分には良いところもあれば悪いところもあります。

至らないところがあることを認めて、「至らなければ至らないで改善すればいい」と判断できる能力があることが自分を省みる能力と直結します。

ここも結構難しい場合もありますが、長期的に練習していくとそんなに苦労や負荷が少なくできるようになったりもします。

おわりに


「共感」についてさまざまな視点から説明してきましたが、いかがだったでしょうか?

少しでも参考になれば幸いです。

カウンセリングを行なっているクライエントは知らず知らずのうちに「共感」の能力が適切な方向へと向かっていくことがあります。

自分の視点だけでは解決できない問題をテーマにすることが多いため、自分の気持ちに整理がついてきたら相手を理解する方向へとセッションが向かっていくことが多いからです。

そしてそのような経験がクライエントにとって今後をより良く生きられる心の財産になることが多いものです。

この共感は非常に奥が深く、実に汎用性の高いものです。

今の時代、理解と尊重がとても大切になってきているように感じます。

この機会にその能力を高めておくことは、これからの時代を生きていく上でとても大切なのかもしれません。

◼️参考文献

共感性(Sympathy) – 熊本大学