心理学やカウンセリング、相談の世界で最も使用されている技術「受け入れる(受容)」。

とてもシンプルでかつ効果的でありながら、実際どういうこと?と疑問に思ったり、どうすれば受け入れることができるのか?が非常にわかりにくいという声もよくお聞きします。

そんな受け入れる「受容」の世界について書いていきたいと思います。

※一概に受け入れるといっても様々な悩みがあるため、総合的に記述しております。ご自身の参考になる部分だけ参照して下さい。

受け入れるってどういうこと?


受け入れるという言葉は「受容(英語:Acceptance)」とも言われています。

受容という言葉は辞書で調べると、

① 受け入れること。取り入れること
② 鑑賞の基礎をなす作用で、芸術作品などを感性に受け入れ、味わい楽しむこと。

精選版 日本国語大辞典

とあります。

読んで字のごとくではありますが、受容とは受け入れることで「受け入れる」とは、

 受けて入れる。
 人や物を迎え入れたり、引き取ったりする。
 人の意見や要求などを認める。

デジタル大辞泉

とあります。

心理学的には3番の「人の意見や要求を認める」というところがわかりやすいように思います。

心理学においての受け入れる「受容」は、他人のことばかりではなく、自分自身についても使われるためより広範囲な対象に使われます。

前置きが長くなりますが、心理学的な受け入れ「受容」を別の言葉で理解するとしたら「認める」という言葉がひとつ該当するように思います。

相手の嫌な性格を受け入れる、自分の嫌な性格を受け入れるということは、その嫌な性格を「認める」ということです。※受け入れたいと思うもののランキングで多くの場合「嫌な性格」が多くあるためこの事例で説明します。

認めるということは、変えて欲しい、変わりたいと思う気持ちがたくさんあればなかなか難しくなります。

それは相手や自分を認めず、悩みの世界に引き込み、ストレスを過剰にしてしまうことがあります。

ですので「ありのままを認める」という言葉が一般的に流行しています。

さてここで矛盾が生じます。

ありのままを認めるとそれはそれでいいのだが、それで本当にいいのか?成長しないのではないか?という問題です。

ここに言語的な問題が生じるのです。

ありのまま認めたら何も変わらないし、成長もしないように感じるのですが、受け入れる「受容」には不思議な感覚があります。

受け入れられない「非受容」のときは、悩みが多くなります。

そのためストレスを抱えた状態や脳、身体への負荷もかけている状態になります。

そうすると本来のパフォーマンスが出せない状態で、失敗や余計に問題を多くし、二次的な問題、三次的な問題へ発展することも多くあります。

相手の嫌な性格を受け入れたら、以前よりストレスが減った、相手の印象が変わった、ということが起きることがあります。

自分の嫌な性格を受け入れたら以前よりストレスが減って、生きやすくなった。以前より明るくなって挑戦する気持ちになってきた。

ありのままを受け入れたらこのような体験が起きることが有り、成長がストップするかのように見えて、様々な成長への足がかりになってくれるのです。

そのために「認める」ということが大切なのですが、では認めるためにはどうすればいいのか?という問題が残ります。

実際の多くのケースでは、

  • 仕方ないと考える
  • そういう人(自分)だと認識する
  • 変わらないと諦める
  • 今の現状をそのまま認める
  • 「そういうもんか」と認める
  • 「しゃーない」
  • 「まあいいか」
  • 「別にいいんじゃない」

という認識や言葉が該当することが多いのではないでしょうか?

そこにはある程度の「諦め(あきらめ)」も必要になることも多いように感じます。

「諦めたら認めやすくなって、受け入れが進み、楽になって、以前よりよくなった!!」

これが心理学的な技術における受け入れ「受容」の構造なのかもしれません。

受け入れられない自分が「受け入れられる自分」に成長しているので、実は成長していると言えます。

ぎゅーっと握り締めていた手を緩め、握らなくなると手が自由に動かせます。

それがこの受け入れ「受容」によって起きることなのです。

ではどうすれば諦められるのか?

ここが難しいんです。

掲げた夢や希望、目標を取りやめないといけないことも多くあります。

許せない心理状態に折り合いをつけて、許す方向、もしくは諦める方向へ行かなければなりません。

「まあいいか」「仕方ない」と思えるには、ある程度の折り合いや納得感が必要になります。

「どこで折り合いをつけるのか?」「どこで自分は納得するべきか?」という問いが重要になります。

スケールで考えるとわかりやすい


認知行動療法(CBT)などでよく言われる「白黒思考(0か100か思考)」は、物事を極端に考えてしまう認知の偏りを起こしてしまうものとして有名です。

ちゃんと受け入れていますか?と言われると、受け入れています、受け入れていませんと、答えは0か100かで答えたくなります。

しかし実際のところは20%受け入れているが、80%と受け入れていないといった比率やスケールであることが実情です。

なのに人間は言葉に囚われて極端に捉えてしまうんです。

ですので心情を理解するには、スケールや比率を出すと事実に近く捉えることができます。

100%受け入れるには時間もかかったり、スッキリするまで受け入れる必要がないこともあるかもしれません。

「まあこれぐらいでいいか」といった感覚で止めておくことも有用な場合も多くあります。

時間が解決することもありますからね。

どうすれば諦められるか?納得ができるのか?


「まあいいか」「仕方ない」と簡単に思えればもうできてるよ!!

なかなか受け入れが進まないときにはこのように思うこともあります。

そういった時にはどうしたらいいでしょうか?

まずはなぜ

  • 受け入れられないのか?
  • 認められないのか?
  • 諦められないのか?
  • どうでもいいことにできないのか?
  • 許せないのか?

を知ることが大切になります。

やっぱりこの○○の部分は許せないし、諦められないし、受け入れられない、というものがでてきたらそれが自分の重要なキー(鍵)となります。

その重要なキー(鍵)はなんでしょうか?

それは今後も持ち続けてもいいでしょうし、変えてもいいでしょうし、手放してもいいでしょう。

このあたりの難しさがあるから人は悩み、カウンセリングや相談することをするのだと思います。

その人の問題は、その人独自のものや背景があるので、一概に正解を押し付けることはできません。

また受け入れる難しさはここに多くの場合あります。

ではどうすればいいのでしょうか?

その重要な鍵をどうすれば解消できるか?

  • 原因がわからないと納得できない
  • 直接伝えないと気がすまない
  • 謝ってもらえないと気がすまない
  • 理解してもらいたい
  • 変わってほしい
  • 自分の苦しみを理解して欲しい
  • 同じ苦しみを与えなければ許せない
  • 希望や安心感がなければ納得できない
  • 論理的(ロジカル)に理解できないとダメ
  • 自分の要望や要求を受け入れてもらわないと気がすまない
  • 話を聞いて欲しい
  • 理想にならなければ納得できない
  • 諦めたら終わりな感じがして諦められない
  • 正義感からするとここで諦められない
  • 不条理さに納得できない
  • わからないけど諦められない

これらの行動を求めるならばそのとおり行い、解消できればいいのですが、なかなか現実的には難しいこともあったり、勇気が必要なこともあります。

特に相手が変わる、求める行動を行ってもらうには、行える場合もあればそうでもないことがあります。

なので一般的には「自分は変わることができるけど、相手は変わらない」という言葉が語り継がれていたりします。

それが正しいこともあれば、そうではないこともありますが、自分の中で変化を起こしたほうが得策であることの方が多いかもしれません。

変えることができたらそれでいいですし、諦められたらそれもいいですし、手放せたらいいですよね。

ただそれもできない状態であればどうすればいいのか?

心理学的な受容にはいろいろな方法がありますが、そんな受け入れられない自分を「まあいいか」「仕方ないか」と受け入れる方法もあります。

まず受け入れられそうなところからスモールステップで受け入れていくのです。

最初から巨大な敵と戦うと戦力が削られ、疲弊するので、まずは簡単なところからという発想です。

悩みもそれに応じてすこしずつ軽くなっていきます。

軽くなってくると心も軽くなり、受け入れやすい状態や明るさ、パフォーマンスの回復なども見込まれ、より実践しやすくなります。

なのでここでも大きな視点で捉えて、一つずつ受容していくと良い効果が得られることも多くあります。

また途中で受け入れがこれ以上無理だと思うこともあります。

どうしても許せられないものってありますよね。

「それはそれでいいかな」と思うことも大事になることがあります。

受け入れの「受容」は完璧主義的になる方も多く、すっきりしないといけない、できていないと思ってしまう方もいます。

しかしスッキリできなくても、完璧にできていなくても今の自分が受け入れられるのはこれくらいかなっというのが今の自分の受け入れに最適だったります。

なので魔法のような効果を信じて行うより、地味な地道な感じを想定しておいたほうが予後が良かったりもします。※好みもありますので私が言う事ではありませんが。

さてここまで説明してきて戻りますが、ある程度受け入れをして「50%受け入れたけど50%は受け入れていない」という状態で止まったら、まあこれが今の自分にはちょうどいいのかな、という形で止めても良いということです。

そして人間には素晴らしい技術があります。

それは「忘れる(忘却)」の技術です。

これは結構軽んじられていますが、私たちは忘れることが出来るから毎日救われているところもあります。

悩みを解決すべく全力投球していた人が、解決するのを辞めたら非常に楽になって、「何を自分はやっていたんだろう」という言葉がでたということもよくあります。

私たちは問題が起きた時にその原因を考え、対処対策をし、解決すべく努力する生物ですが、一方でその努力の世界で悩み、苦しんでしまうことも多くあります。

受け入れることも辞めて忘れていたけど「前はあんなに悩んでいたな」ということも起きたりします。

このようなことが心理の世界ではよく起きます。

受け入れることが悩みになったりもするということでもあります。

そういった視点も持っておられると全体像から考えられやすくなります。

様々な心理技法における受け入れと受容


心理学には様々な療法や技法があります。

それらによって受け入れる方法や考え方が異なっていますので、ここで紹介し、自分が行いやすい受け入れが進めるように書いていきたいと思います。

カウンセラーが学ぶ技法もありますが、自分自身に用いれるのであればそれも良いですし、そういった技法の特徴に合わせてカウンセラーを選ぶのも良いかもしれません。

※ここでいう「受け入れ(受容)」はカウンセラーになる方が学ぶエリアも多いので、自分でできなくてもいいですし、参考になればという意味で参照ください。

クライエント(来談者)中心療法での「受け入れ(受容)」

クライエント(来談者)中心療法は、最初は「非指示的療法」、近年では「パーソンセンタード・アプローチ」とも呼ばれ、クライエント(来談者)の話を傾聴し、共感的理解、無条件の受容などを行うことにより自らが気づき、成長していくことができるという考えを中心にした心理療法です。

この中でもその悩みに関して、

①共感的に理解する(例:そうだよね、そう思うよね)
②無条件の受容(条件をつけずに受け入れる)

という点が特徴的です。

自分の気持ちや心理状態に対して、共感し、ありのままを受け入れるといった方がわかりやすいと思います。

そうして自分を理解し、不一致状態の自分が一致して「自己一致」していくことが大切であると考えます。

詳しくは、カール・ロジャースと「クライエント(来談者)中心療法」「ベーシック・エンカウンター・グループ」をご覧下さい。

アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)での「受け入れ(受容)」

アクセプタンス&コミットメント・セラピー(英語:acceptance and commitment therapy,以下略名ACT)とは、アメリカの心理学者スティーブン・ヘイズを中心にケリー・ウィルソンやカーク・ストローサルらによって「心の柔軟性(心理的柔軟性)」を向上させる目的で関係フレーム理論やマインドフルネスの考え方をベースに開発されました。

この技法では、苦痛な感情や気分を受け入れて柔軟に包括していく方法をとります。

それを理解するのによく例えられているのは、「バスの乗客と運転手」の例えです。

バスにはいろんな感情や思考を持ったたくさんの乗客が乗っていて、いろいろなことを訴えています。

その状態は自分の心の中と似たような状態であり、バスの運転手(ACTを用いる者)は、その状態をどのように対応するかを決めることができます。

治す、改善させる方向であれば対決したり、なだめると思うのですが、ACT(アクト)では、彼らを受け入れ、あるがままを包括していきます。

このように受け入れること(受容:アクセプタンス)がまず重要であり、いままでコントロールばかりしていた世界から「ただあるがままを受容する」という世界を体験していきます。

しかしコントロールできればそれも良しと柔軟に考えるのも特徴的です。

そして、

①その状態をあるがままに受容する「アクセプタンス」
②今この瞬間にフォーカス
③自分の価値や目標に沿った行動を行っていく「コミットメント」

の3つを行っていくのがACTと言えます。

このACTを深く理解するためには「恣意的に適用可能な関係反応(AARR)」などを含む「関係フレームづけ」によって起こった出来事にさまざまな関連を見出し、あらぬ方向へ向かったり、複雑な関係づけを行ってしまう人間の特徴を捉えることが大切です。

ひとつの悩みから様々な過去の事例を結びつけたりしてしまうことはよくあると思います。

そういう機能的な力動を理解し、そうやって関係付けているものでも、あるがまま受け入れ、「受容」していきます。

治そうとしなくていいですし、改善しようとしなくてもいいのです。

それは「コントロールをしなくても(できなくても)良い」という表現が適切かもしれません。

アクセプタンスという言葉は直訳すると「受容」になりますが、「拡張」と言ったほうがACTのアクセプタンスを表す日本語として的確です。

その思考や感情、イメージなども含めて自分の中を拡張させてスペースを作り、受け入れ、包んでいくようなイメージです。

自分の気持ちを観察しながらネガティブな感情には深呼吸で息を吹き込むイメージをしたり、その存在を許す姿勢を保ちます。

しくは、心理技法「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)」をご覧下さい。

「建設的受け入れ(肯定的受容)」

これは技法というよりひとつの発想ですが、受け入れる「受容」には、

①否定的な受け入れ(ネガティブ)
②肯定的な受け入れ(ポジティブ)

の2つがあるという考え方です。

否定的に受け入れるとエネルギーが落ちるような落胆した気分が訪れることがありますが、その苦しみを受け入れながらすこしずつ受容が進み、ポジティブな受け入れができるようになることがあります。

最初から肯定的で建設的な明るい感覚で受け入れられたらいいのですが、難しい問題ほどうまくできません。

そういったプロセスを受容し、時間とともに受け入れが進むことも理解しておくと良いこともあります。

どちらかというとこのような流れを汲むことが多いように感じます。

短期的には良いことがないように見えて長期的には良いことが受容の世界には多くあります。

理想やこだわりを捨てることで訪れる「受け入れ(受容)」

受け入れられないとき、納得できないとき、諦めきれないとき、には多くの場合、自分の理想やこだわりがあったります。

その問題が膠着し、どうにもならない状態になるとその「理想」や「こだわり」を手放す、捨てることによって次のステップに進めることがあります。

この方法は誰もが好きではない方法ですが、昔より「諦めが肝心」と言われているように先人の多くが感じてきた伝承が今に受け継がれています。

それは実に多くの先人たちの苦悩に対する処世術であったのでしょう。

簡単ではないこともありますが、意外な効果を発揮することも多い方法です。

早く!早く!焦りの世界から自然な感覚へ向かう「受け入れ(受容)」

今のこの苦しみから早く逃れたい!
早く変わらなきゃ!!

といった焦りの世界は自分に強いプレッシャーを与えてなかなかうまく事が運べないケースに陥ることが多くあります。

特に強い恐怖や身体的苦痛などがある場合にその傾向が強くなります。

その焦りとプレッシャー、強い理想によって、

うまくいかない⇒苦痛を味わう⇒不安と恐怖を感じる⇒ストレスがかかる⇒焦る⇒うまくいかない

といった負のループに入り込むこともあります。

その負のループから抜け出すことができると、こころもからだも力が抜け、自然な感覚が訪れて行くことも多くあります。

焦りは受け入れることを阻むケースが多くあります。

そういった場合、今の苦悩の毎日を受け入れたり、できることから受け入れたり、フォーカスする先を別のものにする時間を増やすことも大切です。

ゆっくり徐々に改善することを受け入れることも大切な時があります。

原因論と目的論で異なる「受け入れ(受容)」

心理学ではいろいろな考え方がありますが、どう捉えるかでアプローチも変わっていきます。

例えば「外に出るのが怖い」という方がいるとします。

原因論では、外に出たときに嫌な出来事やトラウマティックな体験をして、「外に出るのが怖い」という心理状態になったと考えます。

その出来事をカウンセリンや心理相談を通して理解され、受け入れられ、傷が癒え、さらに自分でも受け入れながら前に進んでいき、外に出ることができるようになったというような手順を踏んだりします。※方法や技法などは療法によって異なります。

では目的論で言うとどうなるか?

少し前に流行したアドラー心理学では、トラウマはないと否定し、「外に出るのが怖い」という状態は、外に出ないために怖いという感情を出して目的を達成していると考えます。

経験したこと自体を私たちは感じているというより、「経験して与えた意味」によって自分が決定されると捉えます。

アドラーはすべて過去の原因などに縛られてしまう原因論を勉強したうえでこのような発想の着想を得ました。

そして過去のことに大切な時間を使うのであれば、意味付を変えたり、「勇気」をもって行動したり、勇気付けをすることの大切さを説きました。

心理学の世界はこのような流れを多く汲むことがあり、好みにもよりますが、どちらが正しいというよりその人が改善するために必要な考え方や技法を用いることが得策です。

他にも生物科学的には、「脳や神経系」という点から説明がありますし、行動療法ではその行動の後にある報酬と罰によって行動が動機づけられると考えられたります。

ここで説明したことによって混乱したら申し訳ないですが、自分の経験の捉え方によって「受け入れることが違う」ということです。

アドラーでは課題の分離と言って自分の問題と関わった他者の問題を明確に分けたりもします。

このように「こころ」を見るか?「行動」をみるか?によって様々な議論が繰り返されてきて、今現在最も使われる認知行動療法(CBT)のような統合的な心理技法が使われるようになりました。

※目的論はアドラー心理学において利用されている考え方です。行動療法は行動に着目した多種多様な技法があります。

マインドフルネスにおける受け入れ(受容)

マインドフルネス(mindfulness)とは、今ここに意識を向け、評価を行わず囚われのない状態でただ観るという心理技法であり、カバット=ジンが体系化させたものです。

ドイツ生まれの仏教僧ニャナポニカ・テラやベトナム人禅僧ティック・ナット・ハンが「マインドフルネスが仏教の中心である」と多くの著書を書き、マインドフルネスが広まっていきました。

このアプローチは「正念(マインドフルネス)」状態で全体を観て、気づきを得ていきます。

過去や未来に頭がいきがちな人間にとって「今ここ」に意識を向けるために、またそのトレーニングとして世界中で活用されています。

今ここに注目していくことでそれ以外のことに注目しない時間を増やし、結果として囚われる時間が減ったり、「忘れる」という効果も付随したりします。

仏教的な受け入れ(受容)

紀元前ブッダは、「苦しみは欲望によって惹き起こされるものであり、欲望を放棄する必要がある」と説き、古代ギリシャのアイスキュロスは「叡智は苦しみを通してのみ到来する」と語っています。

最後にほんの数十年前まで日本に定着していた考え方に「仏教的思想」を紹介します。

仏教の開祖であるブッダが残した言葉として「一切皆苦」があります。

人生とは苦しみがつきものであり、思い通りいかないものであるということです。

なんともネガティブで絶望的な言葉に聞こえますが、「そういうことが多いのが人生なのだ」と肯定的に受け入れている方とそうではない方では人生におけるストレス量も異なります。

これも好みもがあるとは思いますが、そういった不条理さを受け入れながら進んでいくと余計な悩みもなく、感謝が生まれやすい心理状態を作りやすいということを伝えたかったのではないでしょうか。

おわりに


受け入れる「受容」について様々な視点から説明をしてきましたが、いかがでしたでしょうか?

受け入れているものが多いほど、人間は悩みが少なくなる傾向があります。

かといって毎日受け入れることに注力するほど暇でもありませんし、それに囚われて受け入れることが悩みになることもしたくありません。

非常にバランス感覚が難しいですが、今に集中する、置いておく、忘れるといった技法も忘れずにおいていただくといいのではないでしょうか。

また様々な受け入れるためのワークなどが考案されていたりしますが、詳しくは専門家にお聞きください。

記事監修
公認心理師 白石

「皆様のお役に立つ情報を提供していきたいと思っています」

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